北海道での青春

紀行文を載せる予定

令和4年11月の俳句

       霜月の句

①木の葉雨 無邪気な子らの 息づかい 

②連弾す 野外ピアノに 小春風

皆既月食げっしょく)に 麗人逝けり 冬の星 

                                              《冬の始まり》

 例年、10月末から11月中旬は、けっこう毎日忙しく展開します。
 稲作を栽培委託している所から、お米が届けられます。一部親族分は現金購入しているので、支払い方々、お礼の品物を届けます。それから、米袋を保管する倉庫の大掃除をします。一方、稲刈りの済んだ水田の稲藁の束を乾燥させ、保管用藁にしたり、梅や柿の木の敷き藁にしたりします。さらに、大型コンバインの刻んだ藁くずを回収して、畑に堆肥と共に鋤混みます。
 大仕事は、夏野菜の「畑仕舞い」です。週間天気予報から雨の降る前の、少し風のある日を選んで、燃やします。今年は11月3日・文化の日でした。
 そんな中、2回の週末に「佐久市民総合文化祭」と「公園であなたの小さな秋を見つけよう(流山市総合運動公園)」なるイベントが入りました。予定していたこととは言え、少しペースが乱された日もありました。それでも最大な救いは天候で、11月1日の午前中と、13日の夜以外、連日晴天が続いたことでした。
 11月の定例俳句会が、14日と早かったので、立冬(11/7)の頃の体験を題材に、俳句をまとめました。まさに、冬の始まりです。


 【俳句-①】は、ミズナラの大木の下の落ち葉を両手で抱えて空に放り投げ、頭や顔に木の葉が落ちてくるのを楽しんでいる子どもたちの様子を詠んだものです。

元気の良い子どもたちだといえども、こんなにも激しく動き回っていれば、息が切れてしまうのではと心配しましたが、それは無用の心配でした。
 季語は、「木の葉雨」です。
  紅や黄に色付いた葉が舞い落ちてくる様子は、まさに雨降りのイメージです。特に、群生したカラマツ(唐松)の落葉を見ていると、茶褐色の針葉は、「小糠雨」そのものです。やや風が強いと、降りしきるという状態になります。

 ところで、私が目撃したのは千葉県の子らでしたが、どこの子も似ています。
 色紙は、長野県北安曇郡池田町の長福寺、大銀杏で遊ぶ子らを描いたものです。秋の遠足の付き添いで訪れた同寺の銀杏の大きさに驚くと共に、子らが落ち葉を相手に、いつまでも飽きずに遊んでいたことが印象深くて、令和元年・霜月の俳句会で、「銀杏三題」として会員に披露したものです。
 子らを「無邪気な」と表現しましたが、誰教えることなくても、本能的に持っている遊び心なのでしょう。

令和元年・霜月の作品

   【俳句-②】は、最近、流行つつある街角ピアノならぬ「野外ピアノ」で、娘と一緒に楽曲を弾いたことを詠んでみました。
「恥ずかしかったあ!」突然のことだったので、聴衆はろくに居なかったにも関わらず、緊張してかなり間違えた。でも、終わってみると、もっとやってみたくなりました。
 季語は「小春風」です。この日の天気は、文字通りの小春日和でした。暖かな日差しもあって、日中は少し汗ばむくらいでした。

 会場の流山市総合運動公園ピクニック広場の木の下に設置したピアノは、午後の1時間半ほどの演奏の他は、開放されフリーですが、弾いてくれる人は、あまり多くいません。それで、娘が演奏に参加する様子を、私たち夫婦が見に行き、誘われたという訳です。ちなみに、妻は、ピアノができるので、クラシック曲を弾きました。(誤解のないように付記すると、私は片手で、旋律を弾いただけです。)

ピクニック広場の「木の下ピアノ」

 ところで、少し長い説明になりますが、演奏する娘や孫に会うことが目的とはいえ、遠路はるばる自家用車で公園まで駆けつけたのは、イベント自体に興味をもっていたからです。
 娘の送信してくれた広報紙を見ると、イベントを統括する「machimin」さんは、市役所みどりの課と、『公園がまちのお庭になる一日~公園であなたの小さな秋を見つけよう~』について協定を締結し、公園の利用について市民を巻き込んだ会議を行なってきたそうです。

当日の催し物の全てを見た訳ではありませんが、集団遊び/地元野菜や手作り品の販売/手作りのパンやスイーツなど食物販売/木の実を使ったマラカス作り(ワークショップ)/ワイン講座と試飲/消防車に乗る・消防車へ落書き・消防士と綱引き等がありました。その中のひとつが、『木の下ピアノ~楽器を持ち寄って皆で演奏しましょう~パブリックピアノ』でした。子どもは、製作したマラカスを持って、また、大人はトランペット・ドラム・ギター・鍵盤ハーモニカと少数精鋭ですが、音楽愛好家の方々でした。当日、初対面の面々で、打ち合わせも無くスタートしましたが、そこは皆さん「お手のもの」のようでした。娘の対応にも感心し、見ていて楽しい一時でした。
 参加している子どもらは、屈託もなく馴染んでいます。田舎の子たちよりも積極的だなあと感じました。
 しかし、注意深く見ると、運営スタッフ以外は、幼児~幼稚園児~小学校低学年生と、その両親、そして、人数は少ないものの、私たちのような爺さん・婆さんという組み合わせが、ほとんどでした。音楽を楽しもうという趣旨に賛同して、幅広い世代の参加ということの難しさを感じました。
 また、公園全体の各種運動施設を見ようと、移動していたら、アスレチック・防災広場に出ました。天気が良いので、親子連れ(3~4人)がピクニックをしていたのですが、一様に、簡易テントを張っていました。それぞれの家族は、仲睦まじく楽しそうな様子ですが、穿った見方をすれば、大きな自然災害があって、自宅が無くなってしまった家族が、テントによる避難生活をしているという風にも見えてしまいました。「日よけ・風よけ」の為のテントでしょうが、主目的が各自のプライバシーを守る為だけのように思えて仕方がありません。どこか私の心情や生活習慣からは、そのまま受け入れられない違和感がありました。こちらのグループは、「公園がまちのお庭になる」イベントと関係のない方々でしたが、ある意味、個人の庭としての公園利用であったのかもしれません。

楽器を持って集まった大人と子ども

 

【俳句-③】は、11月8日の夕方、県外にいる妹から、癌を患っていた女性が亡くなったと携帯電話で知らされた。希有な皆既月食と人の死が一致したことが、ひとつの運命だったことのように思われ、星空を見上げた時の心情を詠んだものです。
 亡くなった女性は、妹にとって義理の妹となる人で、甥の結婚式に同席したことと、年賀状交換ぐらいしか交際はないが、夫婦共々、心情や生活パターンが似ていることがわかり、親近感を感じていました。また、健康的で知的美人でもあって、麗人という表現が、ぴったりと似合う女性です。
 ところが、膵臓癌がステージ4の状態で見つかり、令和2年秋、夫に先立たれ、今年の夏以降は、痛みが激しくなり、ついに立冬の翌日に、天命を終えたといいます。
 奇しくも、その晩は、皆既月食中に天王星が月に隠れるという惑星食が、442年ぶりに見られることが決まっていました。
前回は、西暦1580年7月だったというから、信長が死を迎える「本能寺の変」の2年前以来の極めて稀な天体現象が出現する晩だったのです。

皆既月食中の月に接近する天王星(下) 間もなく月の影に入り見えなくなった。



 私は、宇宙空間での天体の動きが、完全に計算通りに進行するのに、例えば、地球という天体の上で生きている人の運勢や行動が、なぜ気ままなのかと常々疑問に思うことがあります。しかし、その晩は、癌を患った麗人が、宇宙史の希有な日に亡くなったことが、運命のように感じられて、夜空を見上げました。

 実は、その時、私は信州大学医学部附属病院の駐車場にいました。佐久へ帰省中の娘(二女)が、妊娠の安定期を迎えたにも関わらず心配事ができて、2時間かけて病院まで連れてきました。家内が付き添い、私は駐車場で待機していたところへ、妹からの携帯電話があったのです。
 麗人が死を迎えた。母の胎盤の中で生命が育まれる。思えば、私の祖母の死のすぐ後に、娘(二女)は誕生した。生と死、ひとりの人間の中で、同時には起きないが、世代を超え、違う人へとバトンタッチされて行くように思えてきます。

冬の星空(イメージ)

 冬の星空を眺めていると、人知を越えた運命的な時空の広がりの中で、生きている今の自分も、生まれてきた自分も、そして死んでいく自分も、同時に見えるような錯覚を覚えました。

 そう言えば、麗人の夫(Tさん)の追悼句は、下の句でした。
 『ひと偲び 滲む明月 掌を合はす』 (令和2年10月【俳句―③】)

 おふたりのご冥福をお祈り申し上げます。      (合掌)

 

【編集後記】

 11月(霜月)の俳句会は、14日と早かったので、月内に「はてなブログ」に載せようと予定していましたが、ついに空しく12月(師走)の声を聞いてしまいました。
 11月後半は、葱・長芋・大根・白菜・人参・白菜(後蒔き)の順番で収穫しました。そして、それらを天日干しして、越冬用に囲いました。(一部は12月初めになりましたが・・・)
 同時進行で、昨年からの堆肥と肥料を畑に撒いて、耕しました。空になった堆肥置き場には、枯れ葉(落ち葉)を集め、良く踏みつけて山盛りにしました。何しろ、1年経てば容量が3分の1~4分の1になってしまいます。道路の側溝に濡れて詰まっているものなら大助かりですが、今季は雨がほとんど降らなかったので、からからに乾いていました。
 これらの作業の後になりがちですが、自宅の庭や家の周囲の落ち葉掃きや枯れた草花の後片付けも、大仕事です。今はまだ身体が動きますが、更に高齢になれば、室内は頑張って「ごみ屋敷」にはならないとは思いますが、家の周囲は草木が煩雑に茂る「荒れ屋敷」になってしまうかもしれません。
 そんな事を思い、面倒だとは感じながらも、少しずつ作業を進め辺りが綺麗になってくると、気持ちがいいものです。
 なお、11月末から12月初めに、高齢の叔母と同僚(後輩)の葬儀(告別式)もあって、「麗人のご逝去」に加え、人の寿命について考えさせられました。

越冬用野菜の天日干し(白菜・大根・人参)

 

 ところで、「スーパーでしか白菜を見たことの無い人」の為に、お伝えします。売られている(食べられる部分)白菜は、実は全体の7~8割ぐらいになります。
収穫する段階で、中央の巻いている部分を残し、外側の葉は剥ぎ取られ、畑に捨てられます。
 我が家の場合、畑の周囲にカラマツ林が多い為、カラマツの針葉が挟まっているか否かが、除去されるか否かの境目になります。捨てられた葉は、堆肥置き場に持っていきますが、葉の白い部分は、十分おいしく食べられます。
 そこで、今年は、おいしそうな部分は切り取って回収し、まず先に味噌汁や鍋物の具材にしてみました。

 白菜もひとつの組織体で、内側をおいしくする為に、犠牲となっている大きな外葉があるんですね。人間中心の擬人化ですが、「捨てられるよりは、人の口に入る方が幸せかな?」と思い、部分回収しました。

 12月に入ると、全国的に寒気が入り、急に冬らしくなりました。
佐久市では、12月3日に、今季初めて氷点下となり、-4℃を記録しました。

今季2度目の浅間山冠雪

 高い山の上は、既に冬が訪れていて、例えば浅間山(2568mASL)では、何度か冠雪がありました。いよいよ冬の到来です。   (おとんとろ)