北海道での青春

紀行文を載せる予定

秋から冬へ(霜月の句)

① 行く秋の 碓氷峠(とうげ)を越えて 軽がゆく

② 芝坂を 転がる母子に 小春風

③ 影よぎる 冬耕の空 鳶一羽

 

 例年、私と娘の誕生日が「文化の日」前後にあるので、孫たちが佐久へやって来るが、今年は逆になった。何と、人気幼稚園の受付順番を確保する為に、夫婦が金曜の晩から二晩徹夜で並ぶことになるので、応援に来てという要請であった。人気の方に入りたいからではなく、本命の方に入れなければという予防策である。
 結局、その必要はなくなったが、私たちも気合いを入れて用意した都合で、日帰りで出かけることになった。そんな話題を俳句にしてみた。
 もうひとつは、野菜類の取り入れが終わり、「冬ぶち」の始まった様子である。
 国際ニュースでは、米国の大統領選挙で湧いた今月であったが、日本の田舎では、青空の続く冬晴れの下、少しずつ冬越しの準備が進んでいっている。


 【俳句-①】は、文字通り、深まりゆく碓氷峠の紅葉の中を、軽自動車(新車)が走って越えて行ったという事実を詠んでみた。
 第三者が見れば、気にも懸けずに素通りする俳句かもしれない。しかし、作者としては、「軽」の意味に思い入れがある。やはり説明しないとわからない。
 今年の秋に、今まで新車から10年間乗ってきたプリウス車(トヨタ)を廃車にして、タント車(ダイハツ)を新車で購入した。排気量660ccの軽自動車ですが、室内空間が広い上に、各種安全性に配慮した機能を装備したことで、気に入っています。
 実は、就職して以来、私の乗ってきた普通乗用車の経歴は、良く聞く合い言葉『いつかは、ベンツ』というような高級車への憧れではなくて、シティワゴン車でも、排気量のより大きい車へと志向してきました。結果的には、値段も少しずつ高くなってきたかもしれません。
 「就職祝い」を兼ねた、私にとっての最初の車は、叔父から譲り受けた中古の「サニー」(1200cc・日産)でした。半年ほどして、自分の給与に祖母の援助を受けて、初めての新車「ラングレー」(1300cc・日産)に乗りました。ワゴンタイプが好きなので、次も新車「カルフォルニア」(1400cc・日産)も同じタイプでしたが、排気量は少し大きくなりました。
 その次も、同じシティワゴンタイプの新車「アベニール(1600cc・日産)」で、ずっと日産系列で新車を乗り換えてきました。
 しかし、次の新車を決めようと、展示場での見学中、不親切な日産から親切なトヨタへと方向が変わりました。(一地方の代理店の対応の差ですが、日産の不振期に重なっていたのかもしれません?)
 志向が少し変わり、オープンドア型の新車「ラウム」(1500cc・トヨタ)を、母の車椅子対応としても選びました。しかし、母も元気で必要なく、最後は燃費の悪さも気になりました。そして、いよいよ契約から配車まで三ヶ月待ちの人気エコカーの新車「プリウス」(1800cc・トヨタ)に乗り換えました。プリウス車の燃費の良さは、それまでの車の感覚とは段違いでしたが、後方視野の悪さ、車高の低さ・室内の狭さには、慣れるまで大変でした。
 しかし、税制上のナンバープレートは、「330」で、私の車履歴上、高級感・排気量ともに最高峰となった車でした。
 それが、最高位から、排気量では三分の一の軽自動車「タント」(ダイハツ)と変わりました。世の中では、高齢ドライバーの勘違いが原因の交通事故などがクローズアップされる時代を迎え、「私は、まだ大丈夫」と思いつつ、安全走行装置やドライブレコーダーなど、安全運転の付属品にお金をかけようという気持ちになりました。
 そんな時代背景もあり、私の人生も「行く秋」の段階に進み、今までの排気量を追い求める「上昇志向」の姿勢は、まさに峠を越えて、下っていくような心境を迎えました。それを俳句に託したつもりです。

 ただ、峠を下りつつ、冬の時代を迎えようとしているわけですが、新たな境地にも達していました。速い大型車に抜かれても、抜き返してやろうなどと対抗心が生ずることなく、安全運転が第一で、かと言って迷惑のかからない速度で走ろうという気持ちになっていました。その気になれば、「ターボエンジンだぞ!」という、ちょっぴりやせ我慢を残しながらです。税金を始め、これからの車の維持・管理費まで考えれば、老人への道程を素直に選択したと思っています。

 

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市民創錬センターから軽自動車と武道館(レンズ雲)


 【俳句-②】は、公園の芝生の斜面を母子(娘と孫ら)が、両腕を伸ばして、転がって行きます。大きな声で笑いながら、途中でぶつかって止まると、涼しげな風が、ほうに当たって心地よさそうな様子を詠みました。

 コロナ禍は、やや下火になっていた時期で、人々の気持ちに少し余裕が生まれたのか、公園を散策する人の半分ほどはマスク未着用でした。それだけ、ソーシャル・デスタンスは確保された空間だからと思いますが、しかし、田舎感覚で見回すと、ずいぶん混んでいる所には違いありません。
 大きい方の孫は、『公園なんか歩いてもつまらない』と言いはります。『プラタナスの枯れ葉を踏むと面白いぞ』と言われても、ゲーム機より楽しくないようですが、母親の提案で、芝生坂を転がる競争を始めたら、それが楽しくて仕方がないようでした。
 私も「よそ行き(外出着)」でなければ、一緒に愉しむ所ですが、皆の様子を眺めていました。
 私自身の子育ての頃、「お金をかけないで愉しめることが大事」と、家族での散歩を第一の趣味、途中からは3匹の犬との散歩に変わりましたが、それを実践してきたので、母子が芝坂を転がることに愉しさを見つけたことを嬉しく思いました。娘が、私たち夫婦の、野外での活動の愉しさを子(孫)に伝えようとする意図が見えて、私はとても嬉しく思います。
 ちなみに、芝坂のあったのは千葉県柏市柏の葉公園」のことで、園内の草木や芝生、施設がとても良く管理されていました。

 

 

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芝生の坂道の下にある楠(クス)の大木

 

 

 【俳句-③】は、冬ぶち作業をしていると、何かの影が過ぎったことに気づき、見上げた時、1羽の鳶が滑空していた雄大な光景に感動して詠んだ。

 どうやら方言のようだが、「冬ぶち」とは、腐植土や藁などを耕作地に散らして鋤混む。さらに、冬の寒さで害虫が死んでしまうように、深く耕作することを言う。春先になって、耕作地をならして、畑作の種蒔きなどの準備をする方は、「春ぶち」と呼んでいる。
 牛馬を操って耕作した時代の「冬ぶち」は、一年を締めくくる難儀な農作業だったが、昨今は、大型トラクターの作業となって、苦労は軽減されている。風防のある冷暖房付きの機種なら、寒風に苦しめられることもまったくない。
 ちなみに、我が家の場合は、手押し式の管理機(耕耘機)なので、自然との触れ合いは、十分過ぎるほど完璧である。それ故、上空を過ぎった鳶の機影に気づいた。

 冬ぶちをする頃の佐久平の空は、水色や青色を通り越した藍色に近い。冬晴れの空が広がり、日差しを浴びて、気分は高揚するが、季節風が限りなく冷たい。厚着をして農作業をするので、身体は温かいが、顔は吹きさらしに晒される。
 私は、『高級化粧水ドモホルンリンクルを塗って』などと冗談を言いながら、保湿液などを塗ってから畑に出かけるが、爺爺とは言え、お肌には良くない。

 

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恵比寿様と大黒様(収穫を祝い感謝の膳)

 

 【編集後記】

  11月19日は、「恵比須講」である。地方によって開催時期は違うようだが、長野市犀川河川敷で打ち上げられる恵比須講の花火(煙火)は、この頃だったと記憶している。夏の花火と違って、美しいには違いないが、余韻は、華やかさより寂しさが残る気がした。

 私の子ども時代の佐久地方では、近隣の商店街が競うように「大売り出し」で人々を引き寄せ、年末セールとは別の、冬期間全体を見通した買い物客で賑わった。冬物衣料などはこの頃、用意したようだ。

 11月19日の晩には、【写真】のような掛け軸を飾り、「新米ご飯・秋刀魚・とろろ汁」などの膳を用意して、一年の収穫が無事できたことを祝った。

 そして年明けの、1月19日には、「新米ご飯・鮭か鰤・煮物(にこじ汁)」などの膳を用意して、無事、年越しができて正月が無病息災で迎えられたことへの感謝をした。

 今のイベントや祝祭日は、週休日や月の第2月曜とかになることが多いので、この19日というのは、うっかりすると忘れてしまう。母が良く覚えていてくれた。

 こんな民間の風習も次の世代に伝えていかないと、消滅してしまうだろうなと思う。