北海道での青春

紀行文を載せる予定

微化石から人類へ(地球の誕生)

 『私は、どこから来て、どこへ行くのだろう?』・・・・・生きていることについて、ある時、ふと人が、思いつくひとつの事である。生き甲斐探しの場となるかもしれない。
 両親がいて、その親の両親がいて、さらにご先祖様がいたから、偶然にも、はたまた必然とも言えて、今の私がいる。一方で、私には、子どもや孫もいるので、私が死んだ後でも「私が引き継いできたもの(DNA)」が、何となく伝わっていくような幻想もある。だが、多くの場合、生きていることを生きるような日常の煩雑さに追われ、それ以上追究しないで、問うことを忘れてしまう。

 しかし、今は少し状況が違う。私は病気の治療中で、無理の無い程度の農作業の他は、ゆっくり思索できる機会を得ている。地質学(Geology)の観点から、地球や生命の歴史に興味をもち、NHKの番組やインターネットを通じ、一般教養レベルの知識や情報を得ている。そして、『私が、今ここに存在することは、ものすごく低い確率でしか起こりえない奇跡の産物であるのと同時に、明日をも知れない儚い存在でもある』ことに気づいた。

 それで、40数億年もかかって、私が存在できるようになったことへの「畏れ」にも似た感動を強く感じている。それを理屈で説明したぐらいでは、人に伝えられないかもしれないが、地球の誕生から人類に至るまでの生命の道のりについて、明らかになっている知見を私なりに集め、まとめてみようと思う。


1.太陽系の中で、地球ができた

 今から約45.67億年前、銀河系の中で、太陽系ができ始めた。性質によって物質は分けられながら、高密度の所に集中するようになった。大きくなれば、それだけ強く物質を引きつけるようになり、微惑星同士は衝突を繰り返し、次第に大きくなっていった。

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地球誕生時の想像図

 45.60億年前、太陽系の公転軌道上にいくつかの惑星が並んだ。

 全質量の99.9%は太陽(恒星)が占め、残りも木星型惑星がほとんどで、地球型惑星の質量は、わずかでしかない。地球は、全部で10回ほどの微惑星衝突をしたと推定されている。
 今から45.50億年前、最後に火星規模の大きさの微惑星と衝突した。中心から少しずれて衝突したので、全体は合体しないで一部は宇宙空間へ弾けて、集積した。これが、月(衛星)となった。【ジャイアント・インパクト説】
 太陽系の他の惑星に比べ、地球:月=4:1(直径比)、81:1(質量比)、6:1(天体の重力比)と、月は極めて大きく特異な衛星である。

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地球の相棒がふたつあれば

 【 閑 話 】

 私は、月に関して詠んだ和歌に出会うと、『もし、月がふたつあったら、歌人はどうしただろうか?』と思っては、いつも苦笑いをします。
 月と太陽の視直径が現在同じで、お互いを隠して月食や日食が起きることも、不思議な現象ですが、物理条件さえ許せば、複数の月が地球の周りを回っていることも可能です。なぜ、月は、ひとつなのでしょう。さらに、現在見ている月の大きさや形が、もし違っていたらと想像するのも、楽しみのひとつです。

 

 【編集後記】

 ややブロクに載せるネタが切れつつあるので、少し前にまとめた地学関係の文章を繋ぎに、登場させていきます。

 今朝の新聞に寄稿した方の文章の中で、渋沢栄一翁が、語ったとされる言葉を紹介された。『四十、五十ははな垂れ小僧、六十、七十は働き盛り、九十になって迎えが来たら、百まで待てと追い返せ』とあった。こんな心がけで、老後を生きたいものである。私の長生きしたい由一の理由は、生きた分だけ、自然科学の明らかにする秘密がわかり、世の中がどう変化していったかが知れることです。知的好奇心を奮い起こしたいものです。