北海道での青春

紀行文を載せる予定

A小学校の東西南北

 知らない土地で道を尋ねた時、丁寧に教えてくれる人に出会ったら、その方に感謝しつつも、失敗したなあと思いながら、説明は丁重に聞き流してしまうのが、私だ。何しろ言われたことを覚え切れないからだ。
 寧ろ、例えば『南西に約500mです』と言われるとわかる。実際はわかったわけではないが、自分の感覚でルートを探り捜し出す。途中に川などがあると、遠回りをすることになるが、都会では、方位磁針を便りに見つけられる。だから、旅行はもとより、知らない土地、都会の地下鉄に乗る時は、山行の持ち物と同様に方位磁石(コンパス)を持参する。
 ところが、都会の人は案外方位を知らない。
 『中央通りを右に』というから、『どっちに向かっての右』と問うと、地名が出てくる。それがわからないから聞いているのに!相手の方が、北がわからないと言うから、『東は?太陽が出る方向です』と小学生にでもするような質問をすると、『昇る朝陽は見たことがない』と、嘘のような答が返ってきて、驚いたことがあった。

 ところで、日常会話で室内の場所を示すのに、『北東の隅に』と、私が言っても通じないことがある。反対に、どうしてそういう発想をするのかと尋ねられ、返答に窮したことがある。
 多くの人は、日が照っていれば南側はわかるが、生活する上で、あまり方向を意識していないらしい。一方、学校の耐震工事に来た設計士の方と工事の打ち合わせの話していた時、場所を特定し合うのに、互いに方向がすらすら出て来て、とても心地よい思いがした。
 要は、その人の生活体験が影響しているらしい。地図を良く使う人は、自然と方位意識と距離感覚が身に付くようだ。

               *   *   *

 A小学校に来て驚いたことのひとつに、青色・赤色・黄色階段がない。前任校では、避難訓練があるたびに、私が校内放送で、避難経路となる階段の色を伝えるのだが、なかなかややこしい。階段の色と方向を、頭の中で置き換えていた。児童は、すんなり覚えているのに、私には、なかなか覚えられなくて苦労した。
 奮っていると感動したことは、本校職員室の蛍光灯スイッチには東西南北表示がある。 職員室に蛍光灯が2列に並んで、6灯あり、「北西~北~北東~南東~南~南西」と表示されていた。そのスイッチを押すと、その位置の蛍光灯が点灯する。
 私と同じ発想をする人が、かつて青沼小学校にいたんだな・・・と思って、思わずにんまりとしてしまった。  
                       平成24年 4月・記

 


  【忙中閑話】   方向感覚について

 赴任してすぐ、A小学校PTA新聞の原稿を依頼され、書いた文章です。
 職員室の蛍光灯が2列に並んで、計6灯あって、スイッチ盤には「北西・北・北東・南東・南・南西」と、油性マジックで表示されていた。多くの場合、スイッチに表示はないか、あったとしても「前右~中央右~後右・・前左」等とあるのかもしれない。但し、黒板がある側を「前」と意識し、それに向かって「左・右」を考えないと、わからない。その点、方位表示だったので、私はすぐに理解できた。

 世の中には方位や道順に関して、不安を感じている人がいるようで、すごい先生を知っている。2学年の八ヶ岳登山引率の折、緊急時の車両を兼ねて、怪我人が出たり足弱な人がいたりした場合、別行動をとってもらうことも想定し、R先生に自家用車を出してもらった。
 当日は観光バスの後に付いて来てくれればいいからと説得したが、R先生は不安だというので、2週間前に二人で入山口まで下見に行った。
 迎えた当日、私が『下見してあるので、安心でしょ』と問うと、『1週間前に、夫と、もう一度行ってきました』と言うのである。
 これには驚いた。聞けば、普段の研修会や出張の折りでも、知らない場所だと必ず下見をしていると言う。・・・と言うことは、緊急車両に御願いしてあったが、その役には向いていなかったのかもしれない。きっと、R教諭は、カーナビゲーション・システムの恩恵を一番感謝している人の一人だと思う。

 同じ登山中に、その反対の経験もした。
 ある女子生徒が、山小屋の横を流れる清流に掛かる橋で食器類を持ち歩いている時に、スプーンを沢に落としてしまったと、私の所に言いに来た。男子生徒なら、『自分で沢に入って取ってこい』で片付けられることだが、女子生徒だからという理由で、夏の清流とは言え、冷たい水に入って取ってあげることになった。
 『あの辺』と言うから、その辺に行き、『もっと右』と言うから、動くと、今度は『横』と言う。わからないので、『どっちだ!』と言い返した。銀色のスプーンは、光っていて見つけ易そうだが、小石にぶつかり、はじけた水流が白い泡となって、清流の中では寧ろ保護色となってしまうのだ。しかし、彼女の立っている橋の上からは、水中の様子も位置関係も見えているらしい。
 そんな騒ぎを聞きつけて、国語科のY先生がやってきた。すぐに、状況を理解したようで、『もう少し上流です、北東方向です』と言う。私のことを知ってのことか知らないが、一発で場所を特定できた。同時に、理科系でもないY先生が、的確に方向を指定できたことに対して、ある記憶が蘇ってきていた。
 夜の職員室で、私と同僚の何げない会話が、「月齢と万葉集の和歌」になっていた時、その話題にY先生が乗ってきた。そして、額田王(ぬかたのおおきみ)の作品と言われる『熱田津(にぎたつ)に 船乗りせむと 月待てば 潮もかなひぬ 今は漕ぎ出でな』と言うがあるけどと言う。
 
 この歌は、661年の百済救援戦争(白村江の戦い等)の時、斉明天皇の船が、難波津(なにわつ)から筑紫に向かう途中で、詠まれた歌である。熟田津(にきたつ・にぎたつ)は、今の松山・道後温泉付近という。ここを船出した天皇の船は、一路、筑紫の娜ノ大津(なのおおつ)に向かったとされているのが、現在の通説のようだ。熱田津を同じ愛媛県西条とする説もある。
 この時、私は、『季節はいつかはわからないけど、もし、この晩が満月なら、東の空から上ってくる月明かりで、引き潮の海(瀬戸内海)へ出ていっただろうな』と、そして、『月齢に関係なく、月の南中時刻(と反対側)が満ち潮になる。その90度の方向の時が、引き潮。この場合だと、午後6時頃で、東になる。地形の影響やその他の原因で、数時間ずれることも多いが・・・』と説明した。Y先生は、和歌(短歌)の鑑賞に自然科学が関わっていることが気に入ったようだ。きっと、方向感覚にも興味があったのだろう。