北海道での青春

紀行文を載せる予定

松原湖での吟行(師走の句)

 ① 湖畔宿 かわらに残る 朝の雪

 ② 薄氷(うすらい)や 昔懐かし 松原湖

 ③ ちぎれ雲 寒風の中 鳶(トビ)の二羽

 

 今月は、忘年会を兼ねて、小海町の松原湖高原ホテルで「吟行」と洒落てみることになった。寒さを我慢して、ホテル周辺を散策して俳句を作る予定だったが、未明から早朝にかけて降った雪があるので、室内で創作することになった。

 ところが、初めて臨んだ吟行で、私は『その場の印象で作ればいいから』との先輩の言葉を信じて、俳句歳時記は持参したが、他に何の準備もしてこなかった。各自に与えられた時間は、1時間半。季語を思案したり、外の景色を眺めたりしている内に、俳句を披露し合う勉強会の時間になってしまった。会の開始時刻を10分遅らせてもらって、三句目が、ようやく間に合った。

 

 【俳句-①】は、ホテルの玄関の屋根瓦に朝の雪が残り、冬の日差しを浴びて、勢いよく解けていく様子を詠んだ。佐久地方は、積雪は多くないが、寒さが厳しい。降った雪は、日陰だとなかなか解けないが、近年の暖冬傾向に加え、この日は気温も上がり、春の名残雪のように解けてしまっていた。

 

 【俳句-②】は、松原湖沼群の中で、一番大きい猪名湖に張った薄氷を見ていて、スケート滑走をした昔を懐かしんだ俳句である。

 佐久地方は、スピードスケートが盛んで、私たちは小学校入学前から下駄スケートをはき、田圃リンクで滑った。

 松原湖スケート大会は、4年生以上が対象だったが、私は学年を偽って3年生から出場した。(もし、入賞でもすればばれていたかもしれない。)

 5年生では、大会新記録で佐久市の大会で優勝し、松原湖大会に臨んだ。こちからは、南佐久郡北佐久郡も加わり、稀に諏訪や茅野方面からも参加する人がいるので、伝統と格式のあった大会であった。

 優勝候補らを同じ滑走組に集めたらしく、スタート直後の接触転倒で上位陣は全滅した。その結果、私の所属するM小5番手のOY君が4位入賞を果たしたが、私は友の成果を随喜できなかった。

 6年生では、肺に関する病気の疑いから、水泳も含めた激しい運動の禁止処置で、応援参加だった。そんなこともあり、中学生では、スピードスケートから遠ざかった。

 

f:id:otontoro:20200717104245j:plain

松原湖(猪名湖)でのスケート大会(小学生)

 

 

 忙中閑話:俳句会の折、「松原湖」という名前の湖は無いことを、私が話題にすると、皆は驚いた。松原湖沼群は、平安時代(仁和4年)に天狗岳付近で起きた火山の爆発による岩屑雪崩で、大月川にできた堰き止め湖の名残である。大きな湖の深みは、7つの湖沼に分かれた。一番大きな「猪名湖(いなこ)」を松原湖だと思っていたようだ。佐久地方でお馴染みの「八ヶ岳浅間山」という名前の山頂(ピーク)が無いのと同じ理由である。

 

 【俳句-③】は、部屋から見える上空に、二羽の鳶が旋回している様子を詠んだ。まさに、予定された創作時間を10分延長してもらい、ようやくできた俳句である。

 西側の八ヶ岳の峰々を越えた強い季節風が吹き付けるからか、雲は形を失い、ちぎれてしまっている。風の強さは、鳶の飛行の様子からもわかる。追い風を利用して下降中に勢いをつけ、方向転換しながら、向かい風を受けて上昇していく。

 鳶は、始め1羽で、途中2羽となり、また1羽だけになった。深い理由はないが、2羽の鳶の方が絵になるような気がして、最後の延長10分で、2羽にした。

 

f:id:otontoro:20200717111250j:plain

最後の田圃(水田)スケート場(平成26年1月)

 

 【編集後記】

 松原湖スケート大会は、私たちの少年時代以降も続いていて、多くの有名なスケート選手を育ててきた。ただし、暖冬で、湖面が凍結しなくなったり、薄氷で人が乗れないようになったりして、猪名湖ではスケート滑走ができなくなっている。天然氷の時代に、大月湖で滑走したこともある。

 今では、人工の製氷施設を備えた「松原湖高原スケートセンター」ができた。残念ながら、自分で滑ったことはないが、大会に出場した人を応援に出かけたことはある。

 この時、『今の子たちは、幸せだなあ』と痛感した。それは、一足数十万円もするオーダーメイドのスケート靴を履いていることでも、同様に高価なウェアースーツを着用していることでもない。状態の安定した氷の上で、何の心配もなく滑走できるからである。なぜなら、その昔、天然氷の時代には、気温の変化によって氷が膨張して「ひび割れ」ができる時、突然の雷鳴のように湖の底から響き渡るからである。氷が割れて、自分が沈んでしまう訳ではないことは知りつつも、恐怖に感ずる。時々は、製氷が不十分で、滑っていて失速して躓くこともあったからだ。

 そんな経験は、上の写真のような「田圃スケート場」で滑ってみれば、しっかりと体験できる。たまたま厳しい寒さの続いた年度で、氷が張ったが、もう佐久地方でも、見られなくなる風景だと思う。