北海道での青春

紀行文を載せる予定

佐久の地質調査物語-109

3.深さを知らせるコングロ・ダイク

 【写真-4】は、釜の沢・左股沢の西側に延びている林道「東山線」から見あげて写したコングロ・ダイクの露頭(標高1010~1020m)です。(説明図を参照)

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【写真-4】釜の沢・左股沢の西、林道1020m

 縦のスケールが実測できませんでしたが、林道の標高1010mから、一番上の露頭は10m近くの高さにあると思います。

 2つのコングロ・ダイクは、実測で層厚が最大50cmと70cmで、隣り合っています。周囲は、下位から灰色中粒砂岩層、黒色泥岩層、灰色中粒砂岩層、再び黒色泥岩層、厚い灰色中粒砂岩層、そして、蓋をするかのように黒色頁岩層が覆っています。

 露頭最上位の黒色頁岩層の走向・傾斜は、N60°E・10°Sで、写真で見ている方向から奥(南側)に、緩く傾斜しています。コングロ・ダイクは、N20°E・70°W(下の部分で)の走向・傾斜で、両者の関係は、堆積構造が異質(堆積岩とすれば異常)であることは明らかです。

 この露頭は、厚い層厚である点で注目されますが、コングロ・ダイクの深さがわかるという観点からも、とても貴重なデータです。見えている部分が、貫入の高さか、反対に落下の深さと解釈すれば、推定でも8mは優にあると思われます。(下限は、落下堆積物で覆われていて不明でした。)
 尚、貝化石も見つかりました。

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林道「東山線」の崖、コングロ・ダイク露頭の説明図

 

4.最大幅のコングロ・ダイク

 【写真-5】は、内山川水系を南側へ越えた雨川水系の林道「東山線」、東武道沢右岸のコングロ・ダイクを含む地層で、正断層と逆断層が見られるものです。見ている方向は、北西です。(説明図を参照)

【写真-6】は、コングロ・ダイクの礫層を正面から写したものです。

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【写真-5】 目視できる断層とコングロ・ダイク

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2つの断層と、コングロ・ダイク説明図

中央のコングロ・ダイクの礫岩層は、これまでの観察中、最大の層厚を示し、110cmありました。 周囲の地層は、下位から黒色泥岩層、砂優勢な砂泥互層(風化した粗粒砂岩層を挟む)、茶褐色に風化した粗粒砂岩層、再び、砂優勢な砂泥互層と、正常な堆積構造をしています。測定できた走向・傾斜は、左(南側)で、N70°E・10°N、右(北側)で、N80°E・5°Nと、ほぼ東西に近い走向で、緩やかに北に傾いています。(写真の右奥側に、緩く傾斜していることになります。)

 これに対して、コングロ・ダイクの走向・傾斜は、N80°W・80°Nなので、周囲の砂泥互層とはわずかに斜めに交わりながら、ほぼ垂直に貫入しています。貫入の深さ(高さ)は、見えている部分で、5mほどです。露頭全体は、高さが10m強ほどの切り通しです。
 礫の種類は、灰色砂岩と黒色頁岩が主で、やはりチャート礫は含まれていません。最大な礫は、直径が20~25cmにもなる巨礫でしたが、堆積時の重力方向は特定できませんでした。

 一方、断層が目視できました。写真上部の茶褐色に風化した砂岩層に着目すると、左下から右上に筋状に延びている正断層があり、左側が2m(1.5m+0.5m)ほど落ちています。その後で、この断層構造を右下から左上にかけて、逆断層が乗り上げるように切っています。移動は2.5m以上と思われます。

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【写真-6】 東武道沢の林道露頭

 私たちが、この露頭を最初に見つけたのは、2003年(平成15年)8月11日のことでした。雨川の支流「中原倉沢~ヌカリ窪沢」の2つの沢と尾根の調査の後、少し時間ができたので、先の様子を偵察した時のことです。
 その後、正式な調査は、同年の10月19日にしました。その後も、付近の沢の調査もあり、2度ほど訪れました。
 しかし、平成18年(2020年)の夏に、記録に残る精度の良い写真を撮ろうと訪れたら、【写真-7】のように、完全にコンクリート壁で覆われていました。とても驚きました。それでも、貴重な露頭写真を後輩のために残すことができたのは、ラッキーでした。

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【写真-7】 コンクリート壁で覆われてしまった

  

5.コングロ・ダイクの様々な産状

 これまで紹介したコングロ・ダイクは、いずれも大規模なものでした。観察される多くは、ずっと小規模で、形態も様々です。【図を参照】

(ア)黒色泥岩層の中に、礫岩層が2.5mずれている。つながっていた状態からずれたのか、元々、折れた状態で堆積したものなのか。
(イ)砂岩層の走向・傾斜が、当時の海底の様子を反映しているとすれば、黒色泥岩層にコングロ・ダイクが貫入し、その後で、砂岩層が堆積したことを意味している。
(ウ)コングロ・ダイクが岩枝状に延びている。侵入なのか、引きずられた跡なのかは不明である。(以上、釜の沢の川底露頭)
(エ)大きなコングロ・ダイクから分離したような(?)小規模の礫岩層が附属している。(クジラの親子)
(オ)黒色泥岩層は褶曲していないのに、礫岩層は、湾曲したり、分離したり、枝を伸ばしたりする。
(カ)礫岩層は、ゆるやかに曲がっている。この層厚20cm程度のものが一番多く見られる。亜角礫の砂岩が入っている。
(キ)既存の地層が破壊されたことを知らせる礫が入っていた。その他は、黒色頁岩片、珪質の灰色細粒砂岩の礫が主体である。
(ク)コングロ・ダイクの礫岩層が小さなブロックに割れながら連続している。元々つながっていたものが割れたのか、割れて泥岩層に入ったのかは、不明。(以上、ホド窪沢の川底露頭)

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【図】釜の沢・ホド窪沢で見られるコングロ・ダイク

 ・・・・この後も、調査範囲を広げていくにつれ、様々なコングロ・ダイクの産状が見えてきました。

 

 【編集後記】

 この後では、産状が異なるタイプの「コングロ・ダイク」を紹介していきます。

 大規模なものは、この4つの露頭が代表してくれると思います。

 そうなると、興味は、「コングロ・ダイク」は、どのようにしてできたのかという成因に向きます。しかし、再三、この「地質調査物語」の趣旨説明をしてきたように、調査には、試行錯誤したり人間臭い地道な過程があることを紹介しつつ、基礎データーを忠実に残したいという意味から、いきなり、成因には進まないで、まだ、紹介していない内山川水系の各支流の沢データーについて報告していきます。(おとんとろ)