2. ワチバ林道の沢の調査から
2000年9月15日(金)敬老の日、六川先生と二人で、コンクリート管の橋の下から沢に入りました。南に延びる林道が「ワチバ線」とあるので、沢の名称としています。
橋のすぐ上流(【図-①】)で、玉葱状風化が見られる黒色泥岩層がありました。やや塊状で層理面は定かではありませんが、N20°E・30°Eのデーターを得ました。
標高965m二股では、明灰色で、いくぶん剥離性のある灰白色泥岩(黒色が薄れて灰色~灰白色になる砂質シルト岩)が主体で、凝灰質暗灰色粗粒砂岩との互層が見られました。南東落ちに見えます。(【図-②】)(唐沢Location-4)
標高985m二股の手前に堰堤があり、これを越えた後、南に延びる支流に入りました。黒色頁岩を主体に粗粒砂岩との互層部に続き、標高1010m付近では、同様な互層部が見られ、N60°E・5~10°Sでした。(【図-③】)
標高1020m付近では、凝灰質粗粒砂岩層の上位に黒色頁岩層があり、4枚の凝灰岩層を挟んでいました。厚さは、偶然にも、下位から5・10・20・30cmと、次第に厚くなっていきます。その上に、再び、粗粒砂岩層が続いていました。(【図-④】)
支流の沢を下り、本流に戻りました。標高998m二股付近(【図-⑤】)では、黒色泥岩層があり、N50°W・15~20°SWでした。
ここから、南東に延びる支流を登りました。標高1060mの少し下から、凝灰質暗灰色粗粒砂岩層が現れ、標高1060~70m付近にかけて、目視できる断層と断層粘土が認められました。断層の延びる方向は、NSないし、N5°Eで、傾きは80°Wまたは垂直でした。ほぼ沢筋に沿っています。断層の延長方向が、ほぼ南北なので、東側と西側ブロックの対応関係を比べる為にスケッチをしました。それぞれの堆積層の走向・傾斜は、N60°E・10°SW(東側ブロック)と、N40°E・25°SW(西側ブロック)でした。しかし、黒色頁岩と凝灰質粗粒砂岩、場合によって火山砂の入った粗粒砂岩の互層の繰り返しでした。鍵層も、その他の特徴がなくて、両方のブロックの対応関係はわかりませんでした。(【図-⑥】)
標高1070m+α付近(【図-⑦】)では、断層の形跡はなくなり、「軽石(pumice)が入り、扁平な最大長径30cmの黒色泥岩の礫を含む」礫岩層が見られました。図に表示はありませんが、N60°E・15°SEでした。
少し上流の黒色頁岩層と粗粒砂岩層の境で、N20°E・20°Eを確認して、沢を下りました。そして、再び本流に戻りました。
本流の標高1010m付近(【図-⑧】)では、黒色泥岩層で、N70°W・20°Nと、北落ちの走向・傾斜でした。
しかし、上流の西から崖の迫る標高1025m付近(【図-⑨】)では、黒色泥岩層で、N20°E・20°Eとなりました。ところが、標高1035m付近(【図-⑩】)では、灰色中粒砂岩層を挟む黒色泥岩層との境で、N60°W・10°Nと、再び北落ちです。
標高1050m手前から粗粒砂岩層が多くなり、1055mでは、軽石の入る粗粒砂岩が出始め、砂優勢の黒色泥岩との互層でした。(【図-⑪】)
そして、標高1060m付近(【図-⑫】)では、軽石の入る厚い礫岩層-1(露頭幅15m、層厚は2.5~3m)が見られました。その上位は、凝灰岩層(3cm)/黒色泥岩層(10cm)/礫岩層-2(30cm)と重なっていました。
標高1070m付近では、軽石入り礫岩層-3(幅20m、層厚では3.4mほど)/凝灰質粗粒砂岩層/玉葱状風化の黒色泥岩層と、標高1060~1070mの間に、3層準の礫岩層(1・2・3)が認められました。(【図-⑬】)
この後、同じ沢を下り、標高965m二股まで戻ります。
そして、標高965m二股から南東に延びた後、南に延びる、寧ろ本流とも言うべき沢に入りました。入ってすぐの標高970m付近では、灰色泥岩層(砂質シルト岩)が見られました。この灰色泥岩は、神封沢の産状を見ても、ある層準に限られているように思いました。(【図-⑭】)
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その後、しばらく露頭はなく、標高1030m付近(【図-⑮】)では、厚さ5cmの凝灰岩層を挟む凝灰質粗粒砂岩層(N30°E・5°SEとNS・20°E)がありました。図では、前者の走向・傾斜のデーターを採用しています。
さらに沢を詰めますが、転石さえなく、ようやく標高1130m付近で、ゲンブ岩質溶岩(兜岩山のものらしい)を確認して、下山しました。
ワチバ林道の沢の上流部・標高1060m~1070mの軽石(pumice)を多量に含む3層準の礫岩層の存在は、気になる情報です。西隣の神封沢の標高970m付近の礫岩層の不整合と共に、この辺りの地質構造を解釈する時の手がかりとなりそうです。
3. 細萱(ほそがや)林道の沢の調査から
正式の名称ではありませんが、近くを林道「細萱線」が通っているので、細萱林道の沢と呼んでいます。天野先生には、佐久へ一泊していただき、二日目に入りました。
林道の橋(トンネル)のすぐ上流に、大水ですぐに埋まりそうな堰堤があります。この堰堤から上流側で、二枚貝・巻き貝など多数の化石が見つかりました。(【図-①】)
橋から水平距離で100mほど、標高960m付近で化石採集と観察をしました。当時、ここには堰堤がありませんでしたが、今は第二堰堤ができています。(【図-②】)
全体的に塊状で、明灰色の砂質泥岩層ないしは細粒砂岩層(砂質なシルト岩)なので、走向・傾斜の測定は難しいですが、N70°E・60°Nと測定しました。
私たちが観察した化石について紹介します。
(1)「イズラシラトリガイ」【Macoma izurensis (Yokoyama)】(→採集した化石)
学名は、Macoma(属の名)、izurensis(種の名)、Yokoyama(命名した人の名:有名な横山又次郎博士)の順番に付けられています。種名「イズラ・・・」のいわれは、茨城県の太平洋側の最北部、福島県との境(勿来関の跡)近くの五浦(いづら)海岸の地名からだそうです。
写真のものではありませんが、殻長4.5cm×殻高3.0cmのイズラシラトリガイの中央部分に穴があり、他の生物に食べられた跡のあるものを、偶然にも見つけました。
(2)「ダイオウシラトリガイ」 【Macoma optiva
(Yokoyama) 】(→採集した化石) 同じMacomaですが、イズラシラトリガイよりも、いくぶん大きくて、殻長と殻高の比率が円に近くなります。専門的な分類では、上述の比率・左と右の殻の形・貝殻の模様・鉸歯(こうし:二枚の貝殻の蝶番のような役割)の様子など、さまざまな要素の組み合わせから決めているようです。しかし、少なくとも私にとっては、『弥生顔と縄文顔』のような印象で、貝の大きさと印象で理解しています。ただし、貝にも個体差があり、成長のどの段階かでも差があるので、正式な鑑定は、とても難しいです。
内山層の二枚貝の化石の中で、この2つの種は、見つけやすく、また、保存状態が良いです。まるで、現世のスーパーで買ってきた蛤(ハマグリ・・・分類の広いグループ(目)では同じ)のように、貝殻が丸ごと、わずかに色彩まで残して産出することがあります。
写真「ダイオウシラトリガイ」は、2016年10月9日、サイエンス倶楽部(東京都中野区・引率代表:佐々木聡美先生)の小学生の皆さんと調査した時のものです。みごとな化石床の中にありました。
(3)「フナクイムシ」の生痕化石
フナクイムシ(Teredinidae・フナクイムシ科)の生活した跡(痕跡)がわずかに見つかりました。
フナクイムシ(船食い虫)は、水中の木質に穴を開けて、棲息しています。しかし、単に水中の木材に穴を開けただけでは、すぐに周囲の木材が膨張して住み穴が狭まってしまうので、石灰質成分を壁面にすりつけて「トンネル」を作っているそうです。
(ちなみに、現代のトンネル工事の代表的な「シールド工法」は、木造船の被害の様子を見て、フナクイムシの行動を真似たものと言われています。)拙いスケッチがありましたが、偶然にも内山川本流で見つけたフナクイムシの化石(転石から)を載せました。
(4)「ツキガイモドキ」 Lucinoma sp.
貝殻の模様の中で、成長肋(せいちょうろく)の幅が広く、きれいに並んでいます。スケッチと写真(鮮明でない)もありますが、インター・ネットでの画像を拝借して載せてしまいました。
(産地は不明です。)
(5)「キリガイダマシ」 Turritella sp.
巻き貝です。正式には、腹足綱・キリガイダマシ科の中の「キリガイダマシ属」のひとつの種です。
発見する確率は、かなり小さいですが、何人か複数で真剣に探せば、必ず見つかるぐらいの頻度です。
(6)「エゾバイ」 Buccinum sp.
巻き貝です。生物分類では、腹足綱・吸腔目・エゾバイ科の中の「エゾバイ属」のひとつです。
北方系の要素を示す化石で、大変貴重なものだと言われたので、緊張して撮影しましたが、不鮮明で完全な姿ではありません。
これらの化石種の組み合わせでは、この地域は、比較的浅い海底で、北方系すなわち、寒流が流れていたのではないかと、天野先生から説明を受けました。
(7)「ナギナタソデガイ」 Yoldia sp.
二枚貝です。生物分類では、クルミガイ目・ロウバガイ科・「ナギナタソデガイ属」のひとつです。この沢だけでなく、調査地域の広い範囲で観察されました。写真「化石床」の中で、小さく、やや細長い形の貝が、ナギナタソデガイです。
私たちが、この日、標高965m付近の主に左岸側露頭で観察できた化石は、以上です。
化石研究は、化石をひとつ見つけたからそれでいいと言う訳では意義が薄く、より多くの資料を広範囲から集め、各個体差や種に着目すると同時に、頻度や平均値を出して全体的な傾向、化石種の組み合わせ等、大変なご苦労があります。(それ故に、私は少し敬遠ぎみです。)
さて、細萱林道の沢は、もう少し登らなくてはいけません。
標高990m~1000m(【図-③】)では、一部に黒色頁岩も認められましたが、全体は層理面がわかりにくい塊状の灰白色泥岩(砂質シルト岩)です。下流と上流で2つの走向・傾斜を求めましたが、層理面でなかった可能性もあります。N20°E・5°W(標高990m)、N30°W・20°NE、およびN10°W・5°W(標高1000m)でした。
標高1027m二股で、沢は伏流しました。標高1040m付近(【図-④】)では、凝灰質の暗灰色粗粒砂岩を主体とする黒色泥岩との互層で、EW・20°Sでした。
この後、沢を詰めると、標高1050m付近、および1100m付近(【図-⑤】)では、いずれも粗粒砂岩層でした。
この後、下山しました。多忙な天野和孝先生は大学へ戻る都合もあり、この日の午後は帰宅されました。
【編集後記】
本文中の後半で、化石を多産する岩相を「全体は層理面がわかりにくい塊状の灰色泥岩・砂質シルト岩」としました。内山層の場合、黒色泥岩~黒色頁岩層の中にも、化石は認められますが、館ケ沢周辺では、「砂質シルト岩」が多いです。
この同じ泥相の岩相でも、黒いか灰色かは、有機物が分解されずに残っているかどうかという堆積環境(酸素の有無)の違いにあります。比較的保存の良い二枚貝が多いのは、比較的浅海で、適度な埋没速度によって生物の遺骸が化石化していったのでしょう。
特に、化石床を掘り起こした時は、まだ岩石に水分が十分にあって、貝の肋の一筋ごとが輝いて見え、感激しました。その昔、北海道の新第三系から「珪化木」を掘り出した時や、大日向の沢で「黄鉄鉱」の大きな塊を手にした次ぐぐらいかもしれません。
何しろ、掘ったばかりは、ダイヤモンドや金鉱床のように見えます。(おとんとろ)