6.武道沢の調査から(上流部)
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2000年(平成12年)6月10日、武道沢上流部の調査をしました。私は、内山川水系での内山層調査へは、初参加です。(勤務の都合で、委員会から抜けていた。)
調査メンバーの唐沢 茂 先生とは初対面でした。天野和孝先生(上越教育大学教授)の下で、化石を専門に学んできているので、当委員会にとって心強い助っ人です。また、この日は、懐かしい大先輩の菊池英雄先生も参加されました。しかし、天気は曇り、昼頃に霧雨が降るという一日でした。
武道沢本流(右股)の標高1020m付近、林道が通り、沢水を流すコンクリート製のトンネル管の下から沢に入りました。(【図-⑦】)
礫岩層があります。黒色頁岩(最大12×15cm)礫を多量に含み、マトリックスは明灰色粗粒砂岩または、いくぶん凝灰質で火山砂にも見えます。さらに、礫種も豊富で、黒色頁岩、白色チャート、暗灰色砂岩、蛇紋岩、緑色岩(?)です。角礫で、堆積面と平行に礫の長径が並び、堆積時の重力方向がわかる産状をしていました。
また、(ア)カキ(牡蠣)殻を含むこと、(イ)元の大きさの2/3ほどに割れた状態でも、50×70cmの珪質の黒色泥岩塊の巨大な礫が含まれることも特筆することでした。
内山層基底礫岩層では巨大な礫が入ることは珍しくありませんが、内山層下部層と上部層の境目に相当する辺りでは、武道沢だけの特徴でした。
黒灰色と灰白色と色の違う粗粒砂岩層の境で、N60°E・15°SEでした。また、Calcite vein(方解石の小さな鉱脈)が入っている産状も見られました。この付近は、砂礫相として良いと思います。
水平距離で、この50m上流では、砂岩とチャートの礫の入る礫岩に、「砂質な」黒色泥岩が挟まり、巻貝(キリガイダマシTurritera sp.)が認められました。敢えて「砂質」を強調する理由は、内山層で代表的な黒色泥岩は、厳格な分類基準に照らすと少なからず砂質ですが、砂相と泥相を対比させる意図で、曖昧さを許容してきましたが、ここの泥岩は、明らかに「砂質」を説明に加える必要があるほど、砂が目立ちました。
沢は、ほぼ連続に近い露頭ですが、さらに水平距離で50m上流では、黒色砂質泥岩と暗灰色中粒砂岩の砂泥互層部が増えてきます。境で、N65°E・15°SEの走向・傾斜でした。(【図-⑧】)
この後、泥優勢、砂優勢などの違いはありますが、砂泥互層が続きます。
標高1045m二股は、左股沢に進み、上流へ10mほど行くと、落差1.5mの滑滝があり、甌穴(おうけつ=ポットホール・pot hole)がありました。造瀑層は、凝灰質の明灰色中粒砂岩層(N30°E・15°SE)でした。
滑滝(標高1050m)の上にでると、岩相は、砂泥互層から砂相に変わりました。
そして、凝灰質の火山砂が多くなります。標高1070m付近(【図-⑨】)では、黒色砂質泥岩層に、3枚の火山砂層(厚さ10~20cm)を挟む互層部があり、走向・傾斜は、N30~35°E・10°SEでした。
尚、いずれも転石情報ですが、(ア)ウニ類(Echinoidea・バフンウニか?)の殻印象化石、(イ)水辺の植物の茎化石、(ウ)二枚貝のキララガイ(Acilla insignis)を見つけました。
標高1080~1090m付近では、再び黒色砂質泥岩が多くなり、これらに明灰色粗粒砂岩層や礫岩層(10cm以下、白チャートや石英の小塊が目立つ)が、挟まっていました。泥岩中から、Yoldia sp.(ナギナタソデガイ)が、わずかに認められました。
標高1110m付近から沢が急になり、黒色砂質泥岩層に明灰色中粒砂岩層(5cm)が挟まります。標高1120mで、沢は伏流しました。
標高1130m付近で、黒色砂質泥岩と、明灰色火山砂(凝灰質)・明灰色中粒砂岩・粗粒砂岩の互層が見られました。
そして、標高1140m付近(【図-⑩】)では、明灰色粗粒砂岩層(凝灰質で風化色が黄土色)が現れます。この後、わずかに黒色泥岩も認められましたが、基本的に砂相で泥相は急激に見られなくなりました。岩相から見ると、この辺りに境を設けても不思議ではありません。走向・傾斜は、N40°E・10°SEでした。
標高1150m付近で、粗粒砂岩層に、薄い黒色泥岩層が挟まりましたが、なぜか白色の点紋があり、不思議な現象だと思いました。(サンプリングしましたが、不明です。)
もう一箇所(標高1155m)で、薄い黒色泥岩層を確認しましたが、その上流は、凝灰質の粗粒砂岩層(主)~中粒砂岩層でした。(標高1175m~1200m)
転石で残念でしたが、二枚貝Petrasma pusilla sp. (キヌタレガイ)の化石を認めました。(標高1175m付近のことです。)私だけの調査であれば「二枚貝の化石」ぐらいしか表現できませんが、唐沢先生がいると、もう少し詳しく報告できます。
ちなみに調べて見ると、「キヌタレガイ」は、非常に原始的な二枚貝で、鰓に共生させている硫黄酸化細菌が、硫化水素(H2S)からつくるエネルギーを得て生きている化学合成をする二枚貝のようです。内山層の黒色泥岩などが堆積した頃の海底で、水が淀んだ嫌気性の環境で、棲息していたのかもしれないなあと、思いました。
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ところで、前回(110回)の武道沢の標高890~910m(【図-⑤】)で紹介した「大型コングロ・タイク」について、以下のようなエピソードもありました。
平成18年7月28日、会員や一般の方を案内して、佐久教育会夏期研修講座を開催しました。その折、詳細に見てみると、緩いS字は上流側から、長さ20cm(延びの方向N30°W)、中央部60cm(N80°W)、下流側50cm(N40°W)で、全体で1.3mありました。また、礫の中で「いくぶん大きい砂岩(1cmφ)の礫に、黒色頁岩の角礫が突き刺さっている」様子が認められました。これは、コングロ・ダイクが堆積する時、砂岩の礫より黒色頁岩の礫の方が先に固まっていたこと、さらに、その後で他の堆積物と共に礫岩層に取り込まれたことを意味しています。つまり、礫岩層は、二次または、三次の堆積物で構成されていることを示唆しているものと思われます。
【写真・上】の星野成年先生が、この近くで海棲生物の這い跡化石を見つけました。
さらに、とんだ《難題》を発見してしまいました。
周囲の黒色泥岩層の中に、幅8cm(上流側)~4cm(下流側)で、長さ1.5mのガラス芸術細工並の精巧さで、本当に細い棒のようなコングロ・ダイク露頭を見つけました。途中8cmほどの部分は、周囲の黒色泥岩層が表面に付き、割れて切れているとも、付着しているだけとも解釈できます。コングロ・ダイクの成因に関わり、あまりに見事な姿を見ると、破壊されなかった理由も考えないといけないことになりました。
【編集後記】
日本の露頭は、数年で大きく変わってしまします。本文中の佐久教育会夏期研修会のあった次の年には、信濃教育会主催の「信州自然学・佐久大会」が行われ、私たちは、その資料造りに専念しました。
そして、ホド窪沢の大型コングロ・ダイク露頭を案内するつもりでいました。まずは、もう一度、私たち自身が見ておこう(下見)と、出かけましたが、下の写真のような姿になっていました。一番下の2001年(平成13年)の頃の写真と比べると、どうなっているかは、説明する必要もないほどの変わりようです。写真の中央のブロックが、上流側(南側)に伸びています。かろうじて、わかります。
一方、上流側から撮した写真では、その存在すらわかりずらくなってしまいました。
結局の所、私たちが初めて出会った時の鮮明な写真で、現地案内はしないで、『こんなものが見られました』という扱いになってしまいました。
このように、岩石ですので、中身自体は数年で無くなってしまうことはありませんが、新鮮さが薄れ、周囲の変化でわかりにくくなってしまうのが、現実です。その意味からも、記録、それも画像で残すことの意義は大きいと思います。(おとんとろ)