第Ⅳ章 内山層の基底礫岩層群
ある地域の地質調査をする時、模式地と言われている沢や、地層の走向とできるだけ垂直に流れているような沢、それに交通の便の良い河川などの調査を優先させて取りかかります。例えば、山中地域白亜系の調査では、「都沢(みやこざわ)」は、この前者ふたつの条件を兼ね備えていました。
内山層の場合、柳沢や大沼沢あたりが良いのかもしれませんが、平成10年度の調査からは、化石調査も優先したので、北部地域の東側(館ヶ沢周辺)から始めたようです。それで、内山川水系の南側の支流調査が済んだ後、ようやく内山川本流調査に取りかかりました。平成14年度(2002年)の夏に、2日かけて相立(あいだて)から黒田(くろだ)までの調査をしました。また、同年11月には、小林正昇先生と埼玉地学団体研究会の皆さんと共に入ることができました。ここには、野村 哲 先生(元・群馬大学教授)と小坂共栄先生(信州大学教授)も同行されていて、大きな感化を受けました。
(ルートマップ図幅を3分割した都合で、実際の調査日とずれている部分もあります。説明は、「1/3・2/3・3/3」の各ルートマップごとにしています。)
1. 内山川本流(1/3)の調査から
国道254号線沿いの「相立橋」から北西200m付近(【図-①】)で、内山層の基底礫岩層が観察できます。内山川(正式には滑津川の上流部)の右岸の河原と、水路の北側に礫岩層が広く分布しています。水路の上(東西15m×南北5m)、河原の西側(15m×10m)、河原の東側(5m×7m)で、特に大きな花崗岩や閃緑岩の礫、黒色頁岩の礫、白・黒・赤(少ない)のチャート礫、結晶質砂岩の礫が見られます。
河原西側の花崗岩や閃緑岩の25cm×60cm大の礫の長経の並びを見ると、方向N50~60°Wに並んでいます。最大礫は、50cm×70cmの閃緑岩で、河原の東側にあります。
写真(上)は、結晶質砂岩の礫で、同一のものが中央で切れ、ずれています。俗に
「くいちがい石」と呼んでいる場合もあります。いくつもある訳ではないので、たまたま弱い部分に応力(圧縮)がかかり、割れたのかもしれませんが、いずれにしろ地殻変動によるものです。
* * *
☆印:富沢(六川資料)で、『神社の西側で、玉葱状風化の粗粒砂岩層と礫岩層(最大5cmφ、チャート・粘板岩・花崗岩の礫)の走向・傾斜はN75°W・80°Sです。その少し上流で、基底礫岩層と思われる巨礫を含む層準がありました。川が湾曲している為、こちらの方が、相立橋の北西露頭【図-①】より下位になります。
チャート礫も多いですが、花崗岩礫(最大90×100cm)や粘板岩礫(20×30cm)が目立ちました。』と紹介した露頭です。
本流の標高770m付近と西側の尾根(【図-②】)で、20mほどに渡り基底礫岩層が見られました。礫種は【図-①】と同様で、最大礫は30cm×50cmでした。
川底露頭の一部に、幅10~15cm×10mの周囲と色の異なる礫岩層がありました。周囲の地層と調和的で、コングロ・ダイクに似ているようにも見えましたが不明です。下流側から観察していくと、比較的上流側の一部分で、スケッチ(下)のような産状が認められました。この層も礫岩層ですし、周囲も礫岩層です。注目するのは、「?」印をつけた珪質の白色砂岩礫が、瓜二つで、まるでかつては同じ礫が割れて離れているのではないかと思わせることです。礫があることと、割れていること(くいちがい石)は少しも不自然ではありませんが、偶然にしては、あまりに奇妙な位置と形態の一致です。しかし、それ以上はわかりませんでした。
この少し上流では、灰色中粒砂岩層の中に、黒色頁岩の礫(最大4×6cm)が含まれていました。長径(N60°E)方向は、堆積時の水流方向を示しているのかもしれません。
崖の下流側へ100m付近(【図-③】)では、帯青灰色中粒砂岩層があり、部分的に細長い(最大10cm)黒色泥岩片が入ることがありました。全体は、珪長質な火山物質が多く、石英や長石も肉眼で認められました。また、黒色泥岩片もありました。
約10m離れて、同質の砂岩層の中に、幅10cm×1.5mのコングロ・ダイクがレンズ状に入り、両端は急に細くなって消滅していました。
少し崩れかけたコンクリートの低い堰堤の西側から川の流路に沿って、一番高い所で高さ15mほどの崖が、目測で上流まで50m以上、続いていました。(【図-④】)
これまで、異常堆積構造と言っても、せいぜい、コングロ・ダイクの産状を話題にしてきましたが、この崖露頭は、どう説明して良いかわからないほど、(ア)スランプがあり、(イ)小さな断層がいくつか入り、(ウ)きれいな堆積層もあれば、ブロック状に入る部分もあり、(エ)走向・傾斜も定まりません。
全体を観察した後、船の舳先の形状に見える塊状の黒色泥岩(極めて硬く、泥質メランジェ?)の下は範囲は狭いが、共に明灰色の砂泥互層であったので走向・傾斜(N50°E・40°NW)を測定しました。
(写真の中央の黒く見える出っ張り部分の下です。)
また、スランプ構造や断層のなくなったと思われる上流の厚い砂泥互層(暗灰色砂岩と明灰色泥岩)で、走向・傾斜(N30°E・20NW)を測定しました。しかし、直接、近くで観察できない崖露頭なので、これらの測定値が全体の傾向を代表するのか、定かではありません。
この後で調査に入った「尾滝沢」や周辺の沢でも、明らかに内山層の岩相ではないと感じましたが、この露頭も、大月層(従来、白亜系とされてきたが・・)で、最近の研究からわかってきた『跡倉ナップ群』ではないかと思われます。
尚、崖の最上部に蜂の巣状に風化した軽石凝灰岩層があると思われます。カメラの望遠レンズで撮影しました。特徴から、軽石の入っていた部分が抜け落ちているのではないかと考えました。(類似の風化をすることもある石灰岩の転石は、今のところ見つけていません。)
川の湾曲部の上流では、凝灰質灰色中粒砂岩(いくぶん剥離性)が見られ、わずかに黒色泥岩を挟んでいました。そして、「初沢」との合流点では、同質の砂岩層が見られました。
標高799m(橋の下流150m)付近(【図-⑤】)では、チャートの円礫を含む礫岩層の上に、暗灰色中粒~粗粒砂岩層が見られました。礫種は、白チャートの他、珪質の灰色砂岩、黒色頁岩で、円礫と角礫が混ざっています。粗粒砂岩の岩相は、内山層のものと違うような感触をもちました。
標高780m(橋の下流50m)付近(【図-⑥】)では、塊状の黒色泥岩層が見られました。一部は、石墨化(graphite)していて、内山層では見られないタイプです。
所々に、珪酸成分の富化部があるのか、ノジュール(nodule・凝結物)がありました。わずかに挟む灰白色細粒砂岩層との境で、N30~40°W・60°SWの走向・傾斜でした。
所沢の合流点は、内堀橋のすぐ上流で、内堀沢との合流点までの間で、小さなコングロ・ダイク(?)に見える構造物が認められた。橋の15m上流(【図-⑦】)付近では、混濁流による縞模様(stripe)の見られる砂泥互層が見られました。砂岩には、小さな黒色頁岩片が含まれています。2つのコングロ・ダイク(?)は、ひとつは、曲がりながら堆積構造と垂直で、もうひとつは層理面に沿っていました。いずれも、幅10cm×長さ1m未満で、石英閃緑岩礫が含まれていました。
橋の80m上流(【図-⑧】)では、灰色中粒砂岩と黒色細粒砂岩(泥岩ではない)の砂岩の互層で、N70~80°W・60~70°Nでした。層理面に沿ってコングロ・ダイク(?)が入り、こちらにも石英閃緑岩礫が認められました。
標高790m(小さな橋の上流50m)付近(【図-⑨】)では、黒色細粒砂岩と暗灰色中粒砂岩の互層が見られました。(岩相から内山層とは似ていない。)黒色細粒砂岩層の中には、粒度は砂サイズの珪長質な物質が特徴的に入っていました。これらの互層に調和的に、幅10cmで、長さ5mと長さ6mの2つのコングロ・ダイク(?)が認められました。その80m上流にも、同様な構造物があり、今まで内山層で話題にしてきたコングロ・ダイクと同じものかどうかを悩みながら調査を続けました。
苦水(にがみず)の日向橋の下流15m付近(【図-⑩】)では、露頭幅で6mとなる砂礫層が見られました。(・・・これは、日向橋のすぐ東側に「中村林道の沢」が合流している関係で、既に紹介してありますが、再度、紹介します。)
比較的安定したN60~70°W・70°Sの走向・傾斜で、下位(下流側)から、礫岩層(60cm)・暗灰色粗粒砂岩層(3m)・礫岩層(40cm)・砂礫岩層(2m)と重なる連続露頭です。礫岩層に、いずれも最大な礫で、チャート礫(12×15cm)、花崗閃緑岩礫(15×20cm)、黒色頁岩片(長径5cm)が含まれていました。
この岩相は、内山層基底礫岩層の特徴です。
そうなると、相立の【図-①】【図-②】、富沢の神社の西【☆】、ここ苦水の日向橋【図-⑩】を結ぶラインから、南側が内山層の分布域と考えて良さそうです。中間の所沢からデータが得られなかったのは残念です。
日向橋の上流20m(【図-⑪】)では、岩相から内山層と思われる灰色中粒砂岩層が見られ、N80°W・60°Nでした。こんな至近距離で、なぜ落ちが、しかも急角度で反対になるのか不思議です。
しかし、コンクリート製の低い堰堤(【図-⑫】)の下流側と上流側でも、似た走向・傾斜なので、間違いではないようです。
堰堤の下流10mでは、黒色中粒砂岩層に、砂サイズとは桁外れに違う巨大な明灰色中粒砂岩(60cm×80cm)が入っていました。転石かと疑いましたが、根付きです。基底礫岩層の礫の中でも、数少ないサイズです。N80°W・30~50°Nの砂岩層に対して、切るようにコングロ・ダイク(幅5~10cm×長さ1m)が入っていました。
堰堤の上流60mでは、黒色泥岩と明灰色中粒砂岩の互層で、N75°W・60°Nでした。
ホド窪沢が合流する橋(名前不明)の下流150m付近~上流の淵(【図-⑬】)では、走向・傾斜N70°W・60°Nの黒色細粒砂岩層(淵の部分は、やや剥離性あり)に計4つのコングロ・ダイクが認められました。幅は10cmていどですが、最大の長さは5mに達するものもありました。他は数mていどです。
この日の調査は、さらに上流の仙ケ滝まで続きましたが、図幅の都合でここまでとします。
【編集後記】
地質の情報とは関係ありませんが、ルート・マップの中にある「*ケヤキ」というのは、写真(下)のような大きなケヤキ(欅)の木です。根本は、内山層の砂岩層や泥岩層があり、地層の中に根が侵入しているはずです。そして、ケヤキの木の部分だけ、周囲のコンクリート製石垣の堤防が、護岸工事されていません。
ともすれば、ケヤキの大木を伐採してしまって、護岸工事を統一的にすることも可能だったと思いますが、そうしないで、おいてくれたことに、私は感激しました。
写真(下)は、フェンスを利用して、鉄製電線が配線されていて、電流を流して、害獣対策をしているようです。素手ではなく、他の方法で触れて見ると、昼間は電流を流していないようでした。
実は、もう少し高級タイプの電気防護柵で、電源が太陽光発電のものは、うっかり触れてしまったことがありました。感電して、もちろん驚きましたが、高電圧でも電流量は小さいので、命には別状ないようです。
しかし、ここのは、もしかすると、正式な変圧器を使っていないものかもしれないので、恐そうです。それでも、こんな手段を使わないと、山里でなくとも、里でも農業ができないほど、山が荒れ、動物が餌を求めて出没してくるようになっています。
ところで、別の機会に詳しく紹介しようとますが、私は、シカ捕獲用のワナ(ワイヤー製)に掛かったことがありますし、また、牧場で雄牛に追いかけられて電流の流れるバラ線で、感電と共に皮膚にかぎ裂きを作ったこともあります。今だから、笑って話題にできますが、本当にびっくりするものですよ!
くれぐれも注意書きがあれば、それに従いましょう。(おとんとろ)