2. 谷川本流調査から(後半)
標高990mと、標高1000mには、熱変質した灰色細粒~中粒砂岩層が見られました。特に、後者(【図-⑬】)は、落差3.5mの滝を形成していて、直径4mの円形をした滝壺がきれいでした。
標高1010m付近(【図-⑭】)では、この沢で初めて、明確な泥相が出てきました。泥岩が熱変成されて粘板岩(slate)になっていました。
N60°E・75°SE(下流側)、N50°E・85°SE(上流側)の走向・傾斜で、小さなコングロ・ダイク(幅5cm×1mと5cm×0.5m)が含まれていました。
この上流、標高1015m付近でも、粘板岩(ほぼEW・垂直)の中に、湾曲したコングロ・ダイクが認められました。
そして、標高1025m付近(【図-⑮】)では、「三段滝」と名付けた落差8mほどの滝(写真)がありました。造瀑層は、熱変質した灰色細粒~中粒砂岩です。
この日の調査は、六川先生と私のふたりだけだったので、高所の嫌いな六川先生は、右岸の手前から林間の中を遠回りして滝を越えました。一方、私は左岸の倒木を利用してと思いましたが、捕まる所がなくて登れず、結局、中央の沢の中を登攀しました。
標高1035mの滝の上は、北からの小沢の合流の後、S字に流路をとって滝口へ沢水が流れ出ます。滝の音の中、観察していた私の背後に六川先生が突然現れ、私は死ぬほどびっくりしました。(一瞬、人と思わなかった。)
北からの沢の合流点より少し上流の、標高1040m付近では、礫岩層が見られました。標高1075mまでの間(【図-⑯】)は、礫岩層が連続します。1045m付近に、熱変質した灰色細粒砂岩層を挟みますが、全体は、円礫で灰白色の1~2cmの礫岩層です。礫種は、白~黒チャート、結晶質砂岩で、最大も5×8cm、8×10cm程度でした。
南から流入する沢との合流点のわずか下流、標高1055m付近では、帯青灰色中粒砂岩層で、N50°W・8°NEでした。この中に、同質の岩塊が入っていて抜けたような痕跡がありました。(【下の写真】)何なのだろうか?
標高1075m(【図-⑰】)では、熱変質した灰色細粒砂岩層に変わりました。
走向・傾斜は、N40°E・13°SEと、N50°E・8°SEでした。
南からの沢の合流点、標高1080m付近では、再び礫岩層が見られました。(【図-⑱】)
全体は、熱変質した灰白色中粒砂岩層です。南からの沢の合流点(【図-⑲】)から5m下流に、滝が形成されていました。
この上流も、熱変質した中粒砂岩層が続きました。標高1110m付近は、やや熱変質した泥岩が多いです。
谷が両岸から迫ってきた標高1165m付近から、石英閃緑岩(Qurtz-Diorite)露頭が現れ、標高1180m付近まで確認できました。これまでも、谷川の下流域(例えば【図-⑦)】や【図-⑩】)から石英閃緑岩の岩枝のような産状は見られましたが、ここは、ある程度、まとまった岩体の一部が地表に露出していると思われます。
もう少し上流部までありそうでしたが、少し天候が怪しくなり、確認しないまま下山することにしました。
谷川の地質柱状図から
荷通林道の鳥居近くの第1堰堤から、標高1165m付近の石英閃緑岩まで、地質構造解析と共に小区間の平均傾斜を推定し、地層の層厚を推定してみました。
(【谷川本流のルートマップ】と、【地質柱状図】を参照)
基盤岩は、先白亜系で、標高940m付近の内山層基底礫岩で不整合に覆われるまで続きます。走向・傾斜から、いくつかの褶曲構造(背斜・向斜)があり、320mほどと、少なく計測されましたが、分布域はもっと広いので、全体の厚さは数千m規模です。従来、海瀬(かいぜ)層と呼ばれていた地層で、佐久穂町の「一ノ淵」からフズリナ化石(古生代・二畳紀後期)が発見されていますが、今ではジュラ紀付加体と考えられています。
(私たちは、先白亜系として、御座山層群に名称を統一してあります。但し、海瀬層は、秩父帯の北帯に属します。)
内山層下部層は、基底礫岩層から砂相までの、約85mです。中部層は、泥岩中のコングロ・ダイクを含む層準(40m)から砂相までの約90mです。内山川水系の沢では、コングロ・ダイクを含む層準は2層準ありましたが、谷川は1層準だけでした。
内山層の調査段階で、当初、中部層を設けていましたが、全域にまで拡大するには無理があるデーターもあり、一応、内山層を上下の2つに区分する場合は、中部層は下部層に含めます。 最後に、礫岩層や粗粒砂岩層から上位の層準が、内山層上部層です。この柱状図に、さらに上流部の熱変質灰色中粒砂岩層(2005年の調査)を加えると、約150mになります。上部層最下部の粗粒岩~砂相は、基底礫岩層と共に全域で確認できます。内山層は、大きな堆積輪廻の中で、一度、海退期を迎えたことが、岩相変化の証拠からわかっています。
内山層基底礫岩層と不整合関係の産状で観察された石英閃緑岩は、内山層上部層も熱変質~熱変成しているので、地表近くへの貫入時期は、内山層堆積後のことになります。当地域では、玢岩貫入による熱変質の影響もありますが、石英閃緑岩体の方が、熱源として影響力は大きいです。
【編集後記】
内山層の堆積盆については、他の地域の情報も紹介した後で触れる予定ですが、谷川は、他の地域と違って、砂相が卓越しているという特徴がありました。
基盤岩(海瀬層)と不整合関係で接っし、多分、堆積盆の西端に近いと思われます。
沢の印象は、綺麗な水流と、いくつかの滝があって、沢旅を楽しむこともできそうです。下の写真は、エピソードで朽ちた大木の根と、引っかかった丸い石が「龍の玉」のように見えた地点の様子です。(忘れていると思われるので、龍の玉を再掲します。)
また、上流部はツツジの群生が、広葉樹の林の中に見られ、心和ませてくれます。
写真は、回転させる前のものを載せてしまいました。申し訳ないです。
ところで、連日の猛暑の中、東京五輪大会が開催され、日本の選手のみならず、世界の強豪選手の活躍振りが報道されるのを楽しみに視聴しています。もっとも、テレビにかじりついての観戦というわけではなく、自分の特に興味のある種目や選手の場合でないと、ハイライト番組を見ることが多いです。(私も、この猛暑の中、午前と午後、2時間程度の農作業を続けています。)
そして、メダリストへのインタビューも興味深く拝聴しています。どの選手の内容も、コロナ禍を乗り切ろうと下向きな努力をしたこと、感染拡大のリスクを負いなからも、大会関係が競技場を提供してくれたことへの感謝を語る内容に、感激します。
どの選手の場合も、それぞれの背景と人柄や性格もあって興味深いものがありました。その中で、ボクシング女子・フェザー級で金メダルを納めた入江聖奈(いりえ・せな)選手(日体大)のインタビューも心に留まりました。小さな頃から始めた競技ですが、予定では来年の大学卒業を機に止め、就職して企業人としての道を歩みたいというものです。本人は、「有終の美」と語っていますが、私は、もしメダルを獲得できなかった場合でも、同じ道を選んでいく人だと思いました。
もの凄いアスリートでも、年齢と共に体力的に衰え、場合によっては技術も低下して、現役の競技者から去っていくことが多い世界です。その中で、異色な印象も持ちましたが、これもありだと、私は、寧ろ共感しながら聞いていました。(おとんとろ)