北海道での青春

紀行文を載せる予定

令和4年7月の句

【文月の句】

①  五位鷺の 残す静寂 星涼し

②  池跨ぐ 経路謎めく 蜘蛛の糸

③  小さき手 掬いし金魚 五年経る 《また夏が来て》

 

 異常に短く早い梅雨明けの後、佐久市では、6月24日から7月2日までの9日間、日中の最高気温が30℃を越える猛暑が続いた。特に、6月29日には、佐久市の観測史上最高となる気温37.1℃(15:36pm)を記録した。
 その後は一転して曇りや雨降りの日が多くなり、途中、晴天日を夾みながら、「戻り梅雨」かと思われるような停滞前線が登場した。そんな経緯を経て、本格的な夏がやってきた。但し、暦の上や、俳句の季語の世界で、7月(文月)は、晩夏となるのだが、現実の天候では夏の真っ盛りである。
 7月の句会は、事情があって早めに開催したので、6月の句会から間が3週間も無くて、題材や季語を選ぶのも、一苦労であったが、『また夏が来て』というテーマにして俳句を創作してみた。


 【俳句-①】は、夏の夕暮れ時に、五位鷺里山から水田地帯へと餌を求めて渡って行く。その独特な鳴き声が去ると、急に静かになり、夜空に目をやると、星が涼しげに見えていたこと詠んだ。夏の代表的星座「サソリ座」は、まだ南東の空低く出始めた頃である。

五位鷺ゴイサギ

 【写真】は昼間の姿だが、ゴイサギは本来、夜行性で、夕暮れに飛んでいたので、私は正確な姿を見ていない。ただ、鳴き声だけは、印象深い。俗に「ヨガラス(夜烏)」とも言われているが、聞く時間帯の趣に関連してか、カラスの鳴き声より、もう少し哀愁を帯びて聞こえる。音量は大きくて良く響くので、飛び去った後は、その静寂さが余韻となる。同じく夏の風物詩「打ち上げ花火」の最後の爆裂音が終わった後の余韻と共通するものがある。

 蠍座が南の空高く上り、サソリの真っ赤な心臓(アンターレス星)は、まだしっかりと見えないが、夏の夕暮れを思う時、ゴイサギの鳴き声は、真っ先に思い浮かぶ光景のひとつである。

 しかし、実は近年、ゴイサギが鳴きながら飛んで行く光景を見ていない。私の高校生の頃までは、佐久平の夏の水田では普通に見られたのだが・・・・。青田の水田で鮒(フナ)を飼っている農家が多かったので、それを餌とするゴイサギが多かったようだ。その後の集約的農業大型機械化と共に、養殖鮒もいなくなり、今では、寧ろガン・カモ類やシラサギ(コサギ)が見られる。(ゴイサギは、絶滅した訳ではなく、場所を替えて棲息している。)

             *  *  *

 

 ところで、和名の「五位鷺」は、宮中での官位が付いている。調べてみると、『平家物語』に由来する。冒頭文、『祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。おごれる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。猛き者も遂にはほろびぬ、ひとへに風の前の塵におなじ。』と、高校の古典で暗唱したものだが、源平の戦いや無常観と関連がなさそうだが、醍醐天皇の権威を伝えるエピソードとして「朝敵揃の段」に、五位鷺に関する逸話が載せられている。

 要約すると、『醍醐天が神泉苑の池に鷺がいるのを見て、役人(六位の官)に捕まえるよう命じた。役人が、鷺に「陛下の命令である」と告げると、鷺は飛び立たなかったので、捕えることができた。醍醐天皇は、「命令に従い神妙である。五位の位を授ける」と、鷺に五位の官位を与え、鷺の首に札を掛け放してやった。』というものである。

 私は、ゴイサギの哀愁を帯びた鳴き声に感動して、醍醐天皇が官位を与えたのかと勝手に思いこんでいたが、「命令に従順で神妙である」と言うのであれば、専制君主プロパガンダのようで、すっかり興醒めしてしまう。

 

 

【俳句―②】は、池を東西に跨ぐようにして、クモが糸を張った。ちょうど「吊り橋」か「ロープ・ウェイ」のように繋ぐ。しかし、どういう過程を経て蜘蛛の糸を結び付けることができたのかは謎である。私は、しばらく佇み、考え込んでしまったことを詠んだ。
 我が家は、今年の秋で築103年目を迎えるが、敷地は明治~大正期に「染め物屋」をしていた方の跡地を買い取ったので、池がある。薬師堂の山からの湧き水を集めた小さなプール(3m×9mほど)のような池で、問題の蜘蛛の糸は、池の西端の鉄製の棒(50cm)の先端から、東端のマサキの下枝まで、張られていた。ちなみに、鉄製棒は、子どもの頃の私や近所の子が、池に落ちないようにと金網を張ってあった名残である。
 もし、西端が高い木の枝であれば、強い風の時に揺れながら、ターザンのようにして、蜘蛛が糸を利用して池を渡ることができるかもしれないが、低い鉄製棒からでは不可能である。そこで、私の出した結論は、蜘蛛は池の水の上を泳いで対岸に渡り、岸から上陸してマサキの下枝に登ったのではないかというものである。それ以外、考えられない。

 そう言えば、水面にミズスマシ(通称アメンボ)がいるかと思ったら、クモを目撃したことがあった。残念ながら、クモの糸や巣の作り方を観察したことはない。

 クモとの思い出は、ジョロウグモを捕まえて、自分の指に蜘蛛の糸を巻き付けてみたことぐらいである。蚕の吐き出す糸が1km以上になると、本で読んだことがあるが、蜘蛛の糸もずいぶん長い。巻いている指を締め付ける痛さが麻痺し、紫色になってきたので、止めたことがあった。(昔の子はすごい遊びをする。)
 翌日、その後どうなったのか見に行ったら、蜘蛛の糸は消えていた。自分で糸を回収したのか、風で切れてしまったのかは不明である。

四国・祖谷渓の「かずら橋」


   

                                 *  *  * 

 ところで、蜘蛛の糸を見ていて、大学生の頃、仲間と四国へ地学巡検に行ったことを思い出しました。その折、祖谷渓大歩危小歩危を訪ね、深い谷底から遙か空中を繋ぐ吊り橋を見て、異様な気持ちになったのです。
 当時、司馬遼太郎の「空海の世界」という本を読んでいて、空海弘法大師)が土佐室戸の洞窟で修行中、明星を飲み込む体験から悟りを開いたという記述に疑問を持ちましたが、空中の吊り橋を見ていて、私たちの日常や思考は、突然ワープするものなのかなと、四国山中の光景を見て感じたものです。それだけ、私にとり異質体験でした。

スリルのある吊り橋

 

【俳句―③】は、毎日、育てている金魚が、6年目の夏を迎えることに気づき、
その長寿(金魚掬いから5年を生きた)に感動したことを詠んだ。
 夏祭りの金魚掬いの夜店から、孫が小さな手で掬い上げてきた金魚は、すぐに死んでしまうかと思いきや、一匹だけにもめげず、逞しく生き続けてきている。

 同時に、幼かった孫は、今年の4月で小学2年生になった。学年が10クラスある小学校で、クラスでは2番目の長身だと言うので、逞しく成長したものである。そんな年月の流れの不思議さを感じつつ、金魚の水槽をしみじみと眺めた。

水槽の中の金魚(ワキン)

 ところで、金魚は、割合長生きで、15年ぐらいの寿命だと言う。水質管理がうまく行かない一般家庭では、生きても3~4年と言うので、我が家は成功している方かもしれない。水草や小石などを入れてみたが、水替え時に支障があるので、エアーを送る装置以外何も入れていない。週1ぐらいで水道水を入れ替える。これが良かったかも知れない。
 『コメットさん』の愛称で親しまれているが、前に飼った柴犬「エル」の寿命が、16歳4ヶ月だったのに比べれば、まだ先は長いが、少しずつ家族の一員となりつつある。

 こうやって、数年間生きる生き物は、愛着と共に、人間との歴史を共有できるが、数日または一夏の命しかない生き物との付き合いは、辛いものがある。
 昨年の夏、都会のイベントでもらった「カブトムシ」を虫かごに入れて、孫家族が帰省してきた。お盆の後で、大型水槽に木の株(とっこ)や植物も入れた環境を作ってあげたら、その2日後には死んでしまった。遺骸となったカブトムシが、そのままとなっていたので、孫にお墓を作ることを提案し、庭の松の木の下に埋めることにした。
 墓石は、娘(孫の母)が小学校の修学旅行で静岡県の美保の松原に行き、記念に拾ってきた平べったい石英斑岩の転石である。感心なことに、孫は、ひらがなで『かぶとむしのおはか』と書けたので、年号碑銘は私が付け加えた。ちなみに、令和の「令」を「命」と間違えて書いて、ごまかしてある。
 今年の夏にも帰省してくるようだが、また、カブトムシを持参してくるらしい。今度は、弟の方もカブトムシに興味が出てきて、二人で共有しているので、少し面倒なことに発展しそうである。

石英斑岩の転石(美保の松原)

 

 【編集後記】

 今朝の起床は、4時45分頃。それから自己流の「ストレッチ体操と脳トレ」を床で寝たままする。内容の順番と詳細は省くが、様々な機会に得た健康情報を元に、次々と内容を増やしてきたので、省略しないで全てやってから起きるとなると、15分~20分はかかる。

 スタートは、登山家の田部井淳子さんがエベレストでもやっていたという「足の指を手で動かしてマッサージ」することである。股の付け根のリンパ節への刺激や、変則的に指で数える運動、最近では、「股関節を回すことが、歩行姿勢を保つのに良い」とのインターネット情報を得たので、それも加えた。途中、少し後半では、NHK「ためしてガッテン」で視聴した「小脳を鍛える眼球運動」とか、「あいうえお」を逆に言ったり、早口言葉を無言でしたりする。最後は、始めた頃からずっと変わらない、腰を反転させた後で、「CT撮影をする格好で一直線に伸びる」姿勢で終了する。

 それから、床を離れ、①血糖値測定、②体重測定(体脂肪率BMI)、③血圧測定(最高―最低、脈拍数)を記入する。これらの、ルーティーンがきちんとできるようなら、健康体であり、味噌汁をはじめとする朝食作りに取りかかる。

 今朝は、味噌汁、ポテトサラダ、ピーマンとトマトの炒め物、茄子の新焼きを作った。この時期、夏野菜が豊富なので、サラダは止めていたが、りんごとセロリが残っていて、もったいないので、今朝は使い切った。(ちなみにポテトサラダは、ほぼ通年の基本献立である。)

 午前7時のBS「WORLD  NEWS(国際ニュース)」を見ながら、朝食をとるのが通常パターンだが、今日は日曜日で無し。少し、余裕時間があるので、先に新聞を読もうと思ったら、家内が見ていたNHK「朝の体操」に続き、『俳句』の放送があったの で、視聴した。

(講師:高柳克弘先生、司会:武井 壮 氏、ゲスト:釈 由美子さん)

 季題は、『秋の雲・秋雲』で、入選作9句が紹介された。どれにも感動しました。また、比較的、平易な表現の句が多く、素人の私にも理解できました。これなら、次週にも見てみようかと思いました。 

 ところで、秋の雲の代表作として、講師の先生が紹介してくれた句

『ねばりなき 空に走るや 秋の雲』(丈草)

・・・(江戸期の俳人松尾芭蕉の門人)が、気に入りました。平易な表現でありながら、趣深いと思いました。

 興味をもって調べてみると、内藤 丈草(ないとう じょうそう、寛文2年(1662年)~元禄17年2月24日(1704年3月29日)。

 現在の愛知県犬山市出身の俳人。本名は本常(もとつね)、通称は林右衛門、号を丈草、別号を仏幻庵など。松尾芭蕉の門人となり、蕉門十哲の一人となった・・・・とありました。 

コスモスと絹層雲(インターネットから)

 そういえば、今日は暦の上で、『立秋』です。そして、長野県知事選挙の投票日です。コロナ禍の影響なのか、県知事選の広報車が、私の住む近くまで一台も来ないまま投票日を迎えています。

 新聞報道によると、台風19号災害(2019年)やコロナ禍(2019年~)で、長野県の一般会計予算が、ここ数年で鰻登りに増えているようです。もっと、県の行政に関心をもって検討しなければいけないですが、何んとなく傍観しています。それでも、今日は妻とふたりで、無事、投票を済ましてきました。(おとんとろ)