北海道での青春

紀行文を載せる予定

故郷として見た三宅島(後半)

 私が初めて訪れた三宅島は、人々がようやく島に戻ってから8年目を迎えた夏だった。
 ライフラインは整備され、島を一周する都道も、次の整備作業に入っていた。各地の観光・学習用看板も新しく、ありがたかった。

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御笏神社の太鼓

 そして、2年に1度の三宅島全地区の夏祭りに遭遇することができた。神輿は、富賀神社のある阿古(あこ)地区から出発し、伊ヶ谷(いがや)、伊豆(いず)、神着(かみつき)、坪田(つぼた)の5つの地区間で、正式な儀式を執り行って受け渡され、各地区の神社に一泊しながら6日間かけて全島を一周すると言う。
 ちょうど島に着いた日から祭りが始まり、調査途中の各地で見かけたが、4日目に、神着の御笏神社境内で太鼓の演技を拝見させてもらった。

 力強い響きと軽快なリズムが心地よく、打ち手が交替する時に交わす笑顔が、島の人々の絆を象徴しているようで嬉しかった。

 

 ところで、夏のフィールド調査から帰って、新鼻荘さんのお風呂に入るのは、至福の時間であった。その折り、常に疑問に思っていたのは、この水は、どこからくるのだろうということである。火山島には沢筋はあっても、水は一滴も流れていなかった。そうなると、雨水や地下水を集めているはずなのだが、水資源を貯めたり、浄化したりする施設も見あたらなかった。近くの大路池の水を浄化しているのかな等と想像していた。

 それにガソリンが、都の補助を受けてもまだ3割近い高値だと伺い、お湯も無駄には使えないなと感じていた。

 植物も水の獲得に困っているはずである。ひょうたん山のスコリアの上は灼熱砂漠で、73年の歳月を経ても、荒野のままだった。しかし、足下を見ると、雨水の流路に沿うように緑が点在していた。

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スコリアの砂漠にも草が生え始めていた


 一方、大路池のスダジーの森は、巨木に蔦が絡み付き、蝉の鳴き声が高湿度の圧力に感じるほどのミニジャングルであった。時折の噴火さえなければ、土壌に水を貯めた豊かな大地になる条件を備えているんだと感じた。

 すばらしい三宅島の生活体験でした。
 何より、お世話いただいた新鼻荘の皆さんの親身な歓待には恐縮し、心より感謝申し上げます。また、数々の便宜をはかっていただいた島の方々にも御礼申し上げ、三宅島の益々の振興を願います。
 ありがとうございました。

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三宅島との再会を誓う


 【編集後記】 写真は、出港して東京(竹芝桟橋)へと向かう船から、遠ざかる三宅島を写した何枚かの一枚です。早朝に島が見えて入港する時とは、また違った思いで眺めていました。それぞれの人にとっての故郷があるなあと思いました。

 ところで、連絡定期船は、黒潮の中を横切って進みますが、初めて見た大洋の海流の色や潮流の激しさにも感動しました。