北海道での青春

紀行文を載せる予定

微化石から人類へ(最終回・ヒトの特徴)

(5)進化の道を、3万年前まで共に歩み続けてきたネアンデルタール人との別れ

 今から30万年前に誕生し、氷河期のヨーロッパやシベリアなどに進出した人類として、ネアンデルタール人【Homo neanderthalensis】の化石や遺跡が発見されています。
 フランス・ドルドーニュ地方のレグルドゥー遺跡(7万年前)からは、精巧な石器と埋葬された跡が見つかりました。また、同地方のサンセゼール岩陰遺跡(3万年前)から、人骨と旧石器が発見されたのを最後に、歴史から消えてしまいました。遺跡の直上から、現生人類(クロマニョン人)と思われる証拠が見つかったことから、亡ぼされた可能性もあります。

 2005年、イベリア半島南端のジブラルタルの洞窟から、ネアンデルタール人の石器と、火の利用痕跡が見つかった。放射性炭素による年代分析では2.8~2.4万年前と推定された。(上述の数値)3万年前は、少し修正されるかもしれない。

 脳の大きさや運動能力、石器文化など、私たち「ヒト」と大差のない人類が、なぜ絶滅してしまったのか。謎に包まれています。

 次の興味ある学説を見ると、理由のひとつは、言語活動の差なのかもしれないと知り、言語活動の意義について認識を新たにしました。

《ヒトと比べ、ネアンデルタール人は喉が短く、豊富な言語活動ができなかった》

 米国のジェフリー・レイトマン博士:①ヒトの頭骨は喉(のど)の上部が凹となるが、
ネアンデルタール人は平らである。

ネアンデルタール人や猿人は、喉仏(のどぼとけ)の位置が相対的に高く、気道で共鳴させて微妙な発音や音域を自由に作れない。

 すなわち、言語によるコミュニケーション能力が、不十分だった。反対に、ヒトは、狩りの仲間や家族との連絡・口伝が可能になり、言葉により知識・技能が蓄積されていった。その結果、将来を予測することや、新しい文化・芸術を生み出すこともできるようになり、生存競争に勝てたのではないか。 

 

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喉仏(のどぼとけ)の位置の違い


 《ヒトは、10万年前頃から文法構造のある言語を作り出してきたか?》

 岡ノ谷一夫(理化学研究所・研究CL):①ジュウシマツの求愛行動(さえずり)には
文法構造がある。原種(コシジロキンバラ)にはない。江戸期に飼育されるようになり、
言語獲得の進化があった。

 ②脳の新たな結びつきができていた。ザトウクジラにも類似の現象があった。

 ③ヒトの言語の起源は、求愛の歌だったと考えている。道具・文化を作り、集団生活を送ることで、外敵から襲われる危険は、とても低くなる。その結果、ジュウシマツが歌を複雑化させたのと同じように、求愛の歌が複雑化し、相互分節化によって単語が生まれ、言語が生まれたのではないか。言語の役割の重要さを説く。

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ジュウシマツ(野生)

 《 混 血 説 》  一方、ネアンデルタール人は、既に4万年前頃の欧州で、現生人類(ヒト)と文化や技術交流があったり、混血したりしていたのではないかという説がある。絶滅したのではなく、同化したという考え方である。そして、遺伝子レベルで見ても、その可能性があるという研究もあるが、まだ詳しいことはわからない。

 

                *   *   *

 

 いずれにしろ、私たちヒト(Homo sapiens sapiens)が、厳しい生存競争の中で生き残り、極めて短期間に、劇的な進歩を遂げたことは、歴史が教えてくれます。『言葉は、第2の遺伝子です。進化を加速的に早め、次々と文化を生みました』というコメントには同感です。そして、これが人類のひとつの特徴なんだと思い、感動しました。

 ただ、歴史や現実社会を見ると、唯一生き残った人類が、人種・民族差別や、政治・経済・宗教的な柵の中で、寧ろ悪意に満ちた生存競争をしているようにも思えてきます。生命の進化の中で、偶然に生き残れたことへの畏れを感じる時、ひとりひとりが、謙虚に地球人であることに同胞意識をもって、互いに慈悲深くありたいものだと願います。

 【編集後記】

 地球が誕生した後、生命の起源があり、そこから生まれた微細な細胞から進化の道筋を経て、人類にまで至る歴史を、テレビ番組や書物・インターネットで得た情報を元に、まずは自分が理解できる程度の内容にしてまとめてみました。今回で、最終回とします。

 ところで、本文の最後に述べたように、『唯一、生き残った人類が、・・・悪意に満ちた生存競争をしているように思えてきます』というのは、現実の国際社会です。

 その中のひとつは、人種差別でしょう。明治時代の日本でも、国内にアイヌ問題や同和問題中韓露人への差別呼称などもあり、少し偉そうな態度であるにも関わらず、欧米列強諸国(主に白人)に対して、『(植民地の人々への欧米人の)人種差別の撤廃』を国際社会で提案したことは、あまり知られていません。もちろん、その提案は当時の欧米諸国から一蹴されました。

 ところが、昨今、米国での白人警察官による黒人男性(その後、女性の事件も)への偏見に満ち、不当な暴力的拘束から殺人事件となったことを受けて、全米、さらに欧州や世界各地へと黒人の人権を求めるデモの輪が広がりました。米国や英国では、奴隷貿易奴隷解放戦争(南北戦争)に関わり、奴隷制度を養護した人の銅像を破損する事案も発生しています。この破壊行為には反対ですが、現ベルギー国王が、かつての王国の植民地政策、特に現地民への過酷な扱いについて、反省・謝罪したことについては賛成です。しかも、少し驚きつつ、『良くやった』と上から目線ですが、事実を正すことは遅くなってもした方がいいと思いました。

 少なくとも、これまでの建前より、もう少し踏み込んだ気持ちと法律の整備で、世界は人種差別撤廃の方向に動き始めてきていることを歓迎します。まだ、改まらないことについては、腹を立てつつ・・ですが。