北海道での青春

紀行文を載せる予定

神無月の句

 ① 朝ぼらけ 彩雲照らす 下弦月

 ② ラジオ鳴り 豆打つ里の 昼下がり

 ③ 歩を止めて モズの高鳴き 空さがす

 

 佐久市公民館では、文化の日(11月3日)を挟んだ数日間、市民の文化・芸術活動の向上と発展をめざして、個人や団体に発表の場を設けている。私たちは、「みゆき会」として俳句の部に参加、出品する。それで今月は、お昼を挟んで、句会と文化祭に提出する俳画の創作をした。日常生活の中で、秋らしさを感じた光景を切り取った秋三題である。

 

 【俳句-①】は、日の出(ほぼ午前6時)の少し前、南東から東にかけての空に、高積雲が薄く掛かり、雲の間に白い下限の月が残っていた光景を詠んだ。
 特に印象的だったのは、高積雲が、その縁を桃色~茜色、それも黄緑や青味を帯びた彩(いろどり)の雲だった。秋の中層雲(地上2000~7000m)なので、一部は氷粒でできているかもしれない。一方、下弦月もしだいに色を濃くしていく青空を背に鮮やかだ。本来は、太陽光を反射して輝いている月だが、私には、月が自ら発光し彩雲を照らしているように見えた。

 某会員から『綺麗な所を集めて並べ過ぎ』と、句評をいただいたが、どれも捨てがたい自然美の競演だった。

 

【俳句-②】は、私が、作品展に初めて出品した俳画入りの俳句である。文字通り、昼の食休みの済んだ頃の庭先で、携帯ラジオを大音量で鳴らしながら、収穫・乾燥させた大豆を棒で叩いている。主人公は、老爺が似合いそう。ラジオからは国会中継が流れていると、さらに様になる。

 これが私自身だと現実味もがあるが、仮想の句である。かつて農村では、よく見かけた風情だ。私は、庭先が汚れるから処理は畑でする。ラジオも騒々しいので点けない。農家も様変わりしている。

 ところで、みゆき会での俳画は、その俳句や季語と一致しない内容の図案を添えることになっている。それで、柿をアレンジした。

 

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 【俳句-③】は、文字通り、近所を散策していたら、どこからかモズ(百舌)の高鳴きが聞こえてきた。私は空を見回して、声の方向を捜したことを、そのまま詠んだ。

 某会員から『内容がわかる句が、いいのよ』と、句評をいただいた。久し振りに、説明無しで情景と思いを理解し、共感していただいた。

 俳句としては、この句が気に入っていたが、俳画のアカトンボと稲穂の出来映えがもう一歩なので、出品は、俳句-②に譲った。

 ところで、モズの高鳴きは、警戒音を発して縄張りを主張する行動であるようだ。他種の鳥類はもちろん、異性のモズの侵入さえも排斥する。比較的、動物性食の多いモズにとって、餌の確保が難しくなる冬に向けて、生活防衛なのだろう。知らず、風情と理解している人間にはわかるまい。

 

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 【編集後記】

  俳句の作品を初めて俳画を添えて、作品展に出品したものは、今、振り返っても拙く恥ずかしい。特に、芸術性を意識したわけではないのに、文字も、印章も曲がってしまっている。毛筆による表現は、やはり学童時期から、しっかりと習っておいた方が良かったなあと痛感する。

 いつぞや、中国の習 近平国家主席と、日本の安倍晋三首相の二人の色紙交換の場面を見たことがある。安倍氏のなかなかな達筆な筆使いに対して、習主席が、お世辞にも巧みとは言えないもので、漢字の国なのにと、びっくりしたことがある。

 一国家を代表する人なのだから、全てにパーフェクトでなくてはならないとは言わないが、それでも・・・という思いを抱いてしまった。