北海道での青春

紀行文を載せる予定

牛年に卒業する

 そう遠くない昔、野外の地質調査で牧場を歩いたことがある。
 北海道・道北地方の音威子府から歌登にかけての酪農地帯は、およそ人口密度などという話題とはまったく縁がなく、おそらくそこに棲む牛たちは、飼い主以外の人間と出会うのは、極めて稀なことなのだろう。私が歩いて行くと、牛は物珍しそうに寄ってきた。

 これが嫌でたまらない。
 大学卒業を前にした新第三紀の地質研究で、私は沢沿いに露出している地層を調べていくのだが、沢全体が牧場というような所があって、どうしても中に入っていかなくてはならなかった。恐ろしいヒグマの出そうな山奥は、もちろん嫌だが、ヒグマは出る可能性だけで、実際に出会うわけではない。それで、ひとりでも勇気を出して進むことができるのだが、ここは、沢の一部が牛の水飲み場になっていて、牛の群れとは、かなりな確率で出会う。

 「牛なんか恐くない」と言う人もいるだろうが、それは、遠くで長閑に草をはんでいるイメージだからである。角のある巨大な雄牛が、あのぎょろっとした目付きで睨みながら、近づいて来ることを想像してみればいい。何しろ、主人以外の人間を見ることのない牛たちだ。家畜であるという観点だけで、心静かに牛を見ることはできない。

 一度は、牛に追いかけられて、有刺鉄線をよじ登って逃げようとしたら、そこには弱い電流が流れていて、ビリビリと感電はするし、それに驚いて、よろけたら、スボンの上から皮膚のかぎ裂きは作るしという、悲惨な目に遭ったこともあった。

 

             *  *  *

 

 ある時、子牛ばかりが囲われている牧場の一画に入ったことがある。
 子牛は好奇心が旺盛で、一頭につられ、また一頭・・・・と、次々と私の方へ近寄ってきた。子牛ならという気持ちはあるが、それでも、あまり気持ちのいいものではない。

 それでも先に進まなくてはならないので、私は、子牛たちを無視して歩き出した。その時、突然、遠くの丘の上で眺めていた一頭の、明らかに親牛が、私をめがけて、ものすごい勢いで駆け下りてきた。逃げようにも、沢の縁なので、それを許すような状況ではない。冷静に判断しても、逃げたところで、とてもかなうスピードではない。

 親牛の形相が作り出す雰囲気は、明らかに尋常ではなかった。その異常さと、走り来る迫力とで、私は完全に釘刺しにされたように動けない。こんな時、視覚だけが異常に発達したように感じられ、相手の動きは良く見えているのだか、身体の方は、ほとんど自覚がない。
 牛は来る。来る。すざまじい勢いで、迫り来る。
 私の全視覚神経は、実況中継のテレビカメラのように、その光景を映し出していた。それだけ、どうしようもなく夢中で立っていた。

 ところが、奇妙なことに、親牛は、私の直前で向きを変え、一頭の小牛の横腹に頭突きをくらわしたのだ。一番、私に近づいていた子牛にである。
 何と、牛の目標は、私ではなかったのだ。最初から子牛だったのだ。異様な風体の人間(動物)に、不用意に近づいた子牛たちの身の危険を感じ、子牛を私から遠ざけることが目的だったに違いない。

 頭突きされた子牛に、周囲の子牛も驚いて、一斉に走り出した。親牛は、仲間から遅れた子牛に、もう一度、頭突きをした。そして、今度は群れの先頭になって、駆けて行った。

 十数頭の牛の群れは、さながらアフリカのサバンナ(草原地帯)を走る草食動物の大軍団のように思えた。そして、壮大な土音と振動を残して走り去り、牧場の板囲いを、もののみごとに蹴破って、向こうの草原へと消えた。

 私は、その時になって、胸がどきどしていることに、ようやく気づいた。そして、安堵感の中で、一連の今までの光景を頭の中で整理してみて、感動した。
 あの恐ろしい親牛は、人間社会であれば、幼稚園の保母さんに違いない。園児が知らないおじさんに近づいたので、叱りつけたのだろう。責任感の強い親牛なんだなあ。私は、牛社会の奇妙な構造に、こんな秘密があったのかと驚いたのである。

 ちなみに、壊した柵のことも気に掛かる。でも、私が壊した訳でもないしと思い直し、そのまま調査を続けた。

 

               *  *  *

 

 今、改めて思い起こしてみると、あの牛たちとの緊張した時間も、実に懐かしい。そんな思いが、我が3年5組の皆んなとも、妙に重なるものがある。
 こちらは、人間様であるので、同列には扱えないが、彼・彼女らと共に過ごした3年間が無性に懐かしい。彼らは、子牛以上に世間知らずの面を持ち合わせていて、いろいろな事に興味を示した。そして、今、思い起こせば、「○○事件」とでも名付けられるようなエピソードもたくさんあった。しかし、何よりもたくましく育った。

 あと数日後には、卒業。私ひとりが、この中学校に残されるのは、子牛の群れが走り去った後の感傷のように、「やれ、やれ」という安堵感もあるし、寂しい気もする。
 けれども、柵を蹴破って、新しい山野に飛び出して行った子牛たちのように、広大な大地を駆け抜けて欲しい。
 そして、私も、テレビドラマ「ローハイド」のフェイバー氏よろしく、次の子牛の群れを追っていこう。
                【昭和60年(乙丑・きのとうし) 3月】

 

【忙中閑話】 
 実は、私には保育園の遠足で牧場に行った時、牛が恐いと泣いては、保育士さんにしがみついていたというエピソードがあります。後日、母に『何か牛に関して恐い思い出があるんですか?』と尋ねられたようです。

 そう言えば、何でも口に入れたがり、周囲を探索している零歳児は、触っても安全かどうかを試行錯誤しながら学んでいると言いますが、本能的に「植物」を避けるようです。一方、赤ちゃんが、透明ガラスの向こうから猛獣が襲いかかってくるのに怖がらない映像を見て、びっくりしました。恐い動物にも興味津々です。毒や棘から身を守るように進化してきたのかな。野菜嫌いな子も多い。何を恐れるかは、経験や大人から学んでいくもののようだ。

 子どもの一時期、我が家では、農耕用に牛を飼っていた。私の母は、牛の鼻取りが嫌で、祖父に代わってもらい、寧ろ重労働の荷車の梶棒を持ったという話は、何度も聞かされていた。それが、頭にこびりついていたのかもしれない。