北海道での青春

紀行文を載せる予定

何ものかを畏れる心

 この2月に善光寺・淵の坊住職、若麻績侑孝先生から、「二度とない人生だから」という演題で、宗教哲学の話をお聞かせ願い、私は感動しながら理科室に戻ってきた。

 ところが、『シミッチャンは、まだ子どもなんかやあ』と、いつもの調子でK先生が、やり出すと、『だいたい他人の釣りの趣味を悪く言う法は、ないんだよなあ』と、S先生が、ぼやいていた。

 実は、若麻績先生の講演の中に、「釣り」に関する話題が出てきたのだ。
「humanity」の語源は、死を弔うことにあるそうで、死を畏れるのは「ヒト」だけができることである。「死を恐れることは、たやすいが、死を畏れることは、難しい。」

 人は、少年の日に、虫を捕らえて羽をむしったり、魚を釣ったりして遊ぶ。それは、自然への興味や好奇心からするのであって、動・植物の生命を奪ってしまったというような大袈裟な感覚では、とらえていない。

 しかし、この世に生けるもの、すべての生命の尊厳に触れて、自分の命と同じように、他の生命を大切にしようという「慈悲」の心が生まれてくると、無益な殺生をしてはいけないと思い始めてくる。それが、どうだろう。最近では、大人になっても、趣味で釣りをし、殺生を楽しんでいる人がいるとは、実に嘆かわしい。

 これに対して、釣り好きのS先生は、『釣りなんか、かわいいもんだよ。ゴルフ場を造れば、生態系は壊れるし、自然は荒れるし、ゴルフの方が、もっと悪い』と反論した。
 『それに、釣っても、リリースと言って、釣り上げた魚は逃がしている』と、反発した。
 『おめえは、そう言うが、自分の口に針を刺されて痛かねえか』と、K先生。
 静かに二人のやり取りを聞いていたH先生が、『うまく針を抜かないと、結局、死んでしまわないかな?』と、話に乗ってきた。そして、Ktz先生が、『一度、釣られた魚は学習するんですよ。ああ、こういう餌を食べると、釣り上げられてしまうから、次からは注意しようって』と、悪乗りしてきた。
 『Sさんは、偉大な先生だから、魚にも教育しているわけだ』と、H先生がまとめた。
 我が愛すべき理科室のある日の姿である。

 

                *   *   *

 

 ところで、私には、多分できないだろうなと思いつつ、「こうありたい」と願うことがある。それは、祖父や父のような朝を迎えたいという、実に庶民的でささやかなものなのだが・・・・  

 祖父と私は、ちょうど60歳、離れている。明治の偏見と一徹さをもった祖父は、毎朝決まってすることがあった。
 茶の間の掃除を母が済ませた頃、寝床から起き出してきて、ふたり分のお茶を入れた。そして、一杯のお茶を仏壇に捧げてから、もう一杯のお茶をうまそうにすするのを習慣としていた。祖父の打つ鉦(かね)が、チンチンチーンと鳴り、座敷箒(ほうき)が畳を擦る音が目覚ましとなって、残りの3人(祖母・父・妹)が起きてきたものだ。

 この間、ある僧侶の講演を聞いていたら、仏前にお茶を捧げ、ご先祖様と共にいただくという感覚の大切さを説いていた。二度と無い人生だけれども、私たちの「いのち」は、先祖から受け継いだものであり、子孫へと伝えるべきものでもある。壮大な宇宙ドラマのひとコマであると言う。・・・明治の一徹さは、心静かな朝を守り徹した。

 父の朝も、私には、なかなか真似ができない。毎朝、庭と玄関の掃き掃除をしてから、喫煙することを習慣としていた。『朝は、季節が一ヶ月ほど早い。そして、人よりも先に、その日が見えてくるような気がする』と言う。

 父が不在だったある秋の朝、私が庭を掃いたことがあった。青空に白い下弦の月が残り、紅葉の落ち葉には薄っすらと霜が付いていた。それを見ながら、煙草をふかしてみると、清々しい朝の冷気の中に、父の言葉が蘇ってきた。・・・・大正の律儀さも、心豊かな朝を守り徹した。

 さあ、昭和の怠け者は、どんな朝を過ごしているのだろうか?
 子どもの頃から朝型であった私は、学生時代の一時期とこの中学校での生活を除いて、ずっと早起きをしてきた。子どもの頃は、土曜・日曜と、外で友ととしっかり遊んだ月曜日の朝、早く起きて宿題をしていたくらいである。家族で一番先に起きていた。

 大人になってからは、酒を飲みながらの仕事(自宅に持ち帰った仕事や趣味など)が嫌になると、さらにアルコールをあおって、そそくさと寝てしまう。朝になると、不思議とやる気が出てきて、集中して取り組めるという寸法である。

 仕事量に応じて、起きる時刻を決めていたが、多くは期限ぎりぎりの仕事をしていたので、朝の一分一秒は、他の時間帯の何倍もの価値がある。予定した出勤時刻の寸前に慌てて台所に飛び込み、朝食をとる。そして、煮え立てのご飯を吹いて冷ます間も待てずに、ひどい時は水をかけて冷やしたご飯を食べて、家内からは、『もう5分、早く来ればいいのに』など小言を言われながら、車に乗り込む。
 ・・・こんな慌ただしい朝が、現在も相変わらず続いている。

 

            

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大日如来曼荼羅


 さて、長女が3歳の頃、こんな出来事があった。外流しで、手を洗っている時、妙に水を細くして出していることに気づいた。そして、手を洗い終えると、『水を無駄に使うと、水の神様に怒られるんだよ』と、急いで蛇口を締めた。祖父母らの誰かが教えた言葉だろうが、水神に怒られるという感覚は、私が忘れていたものだった。ふと気づくと、洗面器に水がたまっている。そのまま、ひっくり返す気がしなくなって、庭の草木に水をかけた。土に黒ずんだしみができ、それを見ていると、清々しい気持ちになった。ただ、排水管の中に吸い込まれてしまうのではなく、植物の細胞の中に入って行くであろう水のゆくえを思うと、わずかな心がけが、こんなにも人の心を豊かにしてくれるものかと思った。
 

 その娘が、5歳。先日は、トイレット・ペーパーを異常に多く使うので、注意をした。

  『M子、いいか、紙は山の木から作られるんだぞ。無駄に使えば、山の木がどんどん無くなってしまうんだ。困るだろ』と言うと、『うん、わかった』と素直に答えた。ところが、この間も同じことをしていて、再び叱った。

 思えば、私自身も、母から似たような注意を受けた。その母が、夜間、通路に豆電球を点けておくと、祖母が消してしまうので、嘆いていたことがあった。祖母にとっては、「贅沢は罪である」と、骨の髄まで染み込んでいたのかもしれない。

 時代と共に、その時代の生活感覚のあることは確かだが、「何ものかを畏れる心」は、見失わずにいたいものだ。       
                         (平成元年・師走)

 

 【編集後記】   令和元年の初冬から令和2年春、そして夏へと、現在進行形の「新型コロナ・ウイルス感染のPandemic」は、後から時代を振り返った時、歴史的な大きな転換点であったとなることだろうと思う。

 同じように、日々の生活に追われて、政治や経済、世相などの変化に気づかずに必死に生きてきたが、明らかに平成元年(1989年)も大きな転換点であったと、改めて思う。世界史を揺るがす代表的事件だけでも、天安門事件(6/4)・ベルリンの壁崩壊(11/9)・マルタ会談(12/2)と続き、東西冷戦に替わる国際秩序が怪しく構築されつつ、日本経済も苦しんできた感がある。

 今はただ、新型コロナ・ウイルス感染拡大の一日も早い、世界全体での終息を願い、東京五輪パラリンピックに新たな夢を託したいものである。