北海道での青春

紀行文を載せる予定

自然を科学する

 M教授は、祖父が幕末の鉱山奉行であったとかと言うことで、代々の地質学者である。私たちが大学で出会ったのは、先生が退官を数年後に控えた頃で、深く刻まれたしわ顔や、小柄で、少し猫背の外観からは、人生を誠実に生きてきた普通の老人という風体に映った。しかし、先生の偉大な業績もさることながら、朴訥として語られるもの静かな口調の中に、私たちは、ある種の畏れを感じていた。

 そんな教授の話の中で、妙に印象に残っていることがある。
 『最近の学生の中に、試験でカンニングをする人がいると聞きました。僕らの学生の頃には、思いもしなかったことです。自然の真理を追究している学生が、嘘を認めるという態度は、まったくの学生失格です。学歴や就職の為に卒業しなければならない人が増えたということですかねえ』と、講義の合間に話された時、私は思わず背筋が伸びました。

 そして、教授は、話を静かに続けられた。
 M教授が、渡米した折、友人の米国人地質学者に招かれて、彼の別荘に招待された時のことだそうだ。ローカル線の空港に着いた後、友人の自家用軽飛行機で案内されたという。離陸して、高度が安定した機内から覗く眼下の北米大陸には、緑の草原の中に、氷河期の名残のモレーンエスカーの丘が見える。やがて、大きな湖の近くに人家が見えてきて、それが目指す友人の別荘だった。冬期間の暖房や燃料は、湖岸に打ち上げられる流木を拾い集めておくと、足りるのだそうだ。そんな豊かな自然の中で、研究を続けていると言う。なんとも、気宇広大な話だ。
 『同じ人間として生まれてきて、こんな幸福もあるんですね。研究をするには、どうしたって田舎ですよ。がつがつ金儲けがしたい人が、都会に住めばいい。真実を愛する人は、田舎がいい』と、しみじみと語られた。

 私は、老自然科学者の自然探究への直向きさに打たれる思いでした。きっと、日常の雑多な煩わしさから解放され、自身の研究に没頭できたら、どれほど幸せかという思いなのだろうと察しました。そして、M教授の言われた田舎という意味は、単に地理的に辺鄙な土地ということではなく、人が、何を志向して、どう生きるのかということなのだと解釈しました。私たちにとって、朝日の昇るエスカーの丘や夕陽の沈む湖は、とても望むべくもありませんが、せめて心に大きな庭を持ちたいものだと思います。それは、ひとり静かに目を閉じた時に浮かぶ夢や希望であるのかもしれない。

 

             *   *   *

 

 こう言った「人がいかに生きるか」というような話は、いくら議論を尽くしても解決しないものだと思いますが、芸術や詩歌の世界では、独特な趣があるものです。

 卒業生を送る送別音楽会で、私の担任学級で歌うことになった「美しいものについて」という歌を、午後の「短学活(Short Home Room)」で、毎日何気なく聞いていたのですが、ふとある時、「人は、人であるそのことのために、生きているかしら」という一節の歌詞が気になり始めました。
 そして、子ども達の歌う歌集から、この歌詞を見つけてきました。

 

 ~ 美しいものについて (高田敏子・作)~

 花は咲く   誰が見ていなくても
 花の命を   美しく咲くために
 小鳥は歌い  空を飛ぶ
 小鳥は小鳥を よろこび生きるために
 樹は茂る   魚は泳ぐ
 樹であり   魚であることのために
 花は咲く   樹は茂る
 小鳥は歌い  空を飛ぶ
 人は
 人であるそのことのために生きているかしら
 きのう私がしたこと きょう私がしようとすること
 人であるそのことに かたく結ばれているかしら
 樹や花や小鳥や魚のように
 人であるそのことを 美しく生きているかしら
 樹や花や小鳥や魚を
 美しいと   ただ見るだけでなくて

 

 

 「花は、誰が見ていなくても咲く」・・・当たり前じゃないか。花が、スター気取りで、観客がいないからと、すねている訳がない。
 「樹であるために茂り、魚であるために泳ぐって?」茂ったり、泳がなかったりしなければ生命維持ができない。それを、「樹や花や小鳥や魚を、ただ美しいと見るだけでなくて」、どう見ればいいのか?
 こんな解釈をすると、作者から軽蔑されそうですが、だからこそ、ここに、人が、人として生きる価値があるように思います。たぶん、魚は、21世紀を夢みて生きてはいないでしょうし、花は何も知らずに水を吸い、日光を浴びていると思います。しかし、私たち人間は、それらの生きる様を美しいと感ずることができる。それは、私たちが、頭が良い生物だからではなくて、本当に美しいものの前で、素直に自分の未熟さや、自分を含めた自然界の「はかなさ」を感じ取れるという意味なのでしょうか。

 

              *   *   *

 

 ところで、最近、私は、大きな発見をしました。
 『今日は、とても寒くなるから、ベストは毛の方がいいわよ』と、家内が言う。
 『いいよ、どっちみち、学校では背広を脱いで、腕まくりをしているんだから・・』と、私は答える。
 我が家は、4人家族ですが、以下のような観点で分けられます。
(ア)寒がりと暑がり;私は、冬の理科室で、裸足になっていないと、足脂に悩まされて困ります。長女も暑がりで、夏の下校時に裸で帰ってきては、家内によく叱られていました。
(イ)寝覚めの良さと悪さ;私と長女は、神経質という訳ではありませんが、少なくとも起こされた瞬間に寝覚めることができます。これに対して、家内たちは、起こしても、なかなか起きないばかりか、起きた後でも10分以上は確実に文句を言っています。

・・・もっとも、そんな家内の支えを受けて、3年間遅刻することもなく、F中学校に通勤できたことに感謝しています。
 さて、3人の見送りを受けて、車の中の人となった私は、「あいつ、なんで今日が寒くなることを知っているのだろう」と、疑問に思いました。その時は、それだけで忘れていました。

 しかし、春先に、カイガラムシの消毒をすると良いという話を専門家から聞いて、何回かに分けて消毒を始めました。すると、「明日は雨だから、消毒は止めよう。」「今日は、風が強いから・・・」と、天候に自然と目が向きました。そうか、家内は、洗濯物をいつどこに干すかという必要感から、きちんと天気予報を見ていたんだなと納得しました。それと同時に、雨が降っても傘の心配もしない、雪が降っても気にしないような生活をしていたんだなあと反省しました。

 それにも増して、もともと端くれだとは自覚しているものの、自然科学を専攻した者として自負していた「自然を愛する」者と、自分との距離が遠いものとなっていたんだなあと痛感しました。

 先日、「ゴキブリの会」という名前の「K先生を囲む会」がありました。私たちは、K先生から、ゴキブリの観察方法を伺いました。夜、室内の明かりを消した後、懐中電灯に赤いセロハンを付けて赤色光にして、ゴキブリを捜すのだそうです。ゴキブリには赤の可視光は見えないので、何も知らない彼または彼女は、のこのこと這いだしてきては、K先生に捕らえられ、背中に白いマジックで番号を付けられます。先生のユーモアあふれるお話を聞きながら、なぜか、大学の頃のM教授のイメージを重ねていました。純粋に小さな子どもが抱くような疑問を絶やすことなく持ち続け、直向きに自然を探究して続けていく姿を見たからです。

 今、私たちは、「自然の理解を自ら深めていく指導は、どうあったらよいか。」というテーマで、「学ぶ力」を理科を通して追究しています。しかし、本当の仮設は、「自分自身が、もっと自然事象に興味をもって追究していく生活をしていく」ではないかと、思いました。
                           平成4年 3月12日

 

【編集後記】 本文の「自然を科学する」に関して、痛切に反省していることは、『自然観察は、時々でなく、必ず継続していくこと』だと、再認識したことです。

 5月の遅霜で、夏野菜をだめにしてしまった経験から、種苗店から苗を購入した後、自宅で一週間以上も管理しつつ、天候を見ながら連休中に畑に植えました。

 ところが、霜ではなかったものの、朝の最低気温1°Cが5/7と5/8の二日続き、苗の一部に被害が出ました。5月6日の晩に大雨が降って、乾燥した大地が潤ったので安心し、水遣りのための野菜点検を2日しませんでした。自分でも寒いと感じたのに、他の予定もあって、低温被害を忘れていたのでした。

 今は、ひたすら植物の生命力による復活を信じて、見守っています。もし、復活しなければ、再び苗を購入する予定ですが、ぎりぎりまで諦めないで回復を待ちたいです。

 自然観察や物作り、動植物の管理は、ほとんどうまく行っていても、少し目を離した時や、小さなミスで、取り返しのつかないことになります。継続した取り組みを大切さにしていきたいです。