北海道での青春

紀行文を載せる予定

初冬の妻・三題(霜月の句)

① 冬初め 妻と散歩の 日暮れ道

② 漬け菜とる 妻の背伸びに 小春風

③ 弱音で 妻弾く家路 暮れ早し

 

 中国で11月11日が独身男性の日として一躍有名になっているが、日本では11月22日が、『いい夫婦の日』のようだ。この日に、定例句会が開かれた。
 今月は、初冬の妻というテーマで、家内を俳句にして詠んだ。

 

 【俳句-①】は、文字通りの句である。私は、農閑期には散歩することを日課としている。一人で行く時には、郷土の歴史探索や山林・林道、田圃道など、当てもない。中部横断自動車道の開通前、休日で工事がない時は、真新しいアスファルト道も往復で2~3時間も歩いたこともあった。
 家内の都合がつく時は二人揃って散歩をするが、冬初めの11月下旬は夕暮れの時刻が一段と早まり、帰り道では薄暗くなってしまう。私たち世代では、手をつないでという夫婦は少ないが、健康志向と二人の会話もできて楽しく幸せな時間である。しかし、野良仕事が始まるようになると、家内は『暇そうに見られて嫌だわ』と田圃道を歩くのを渋る。

 ところで、散歩は我が家の趣味のひとつだった。3匹の犬を連れて、家族4人で散歩をするのが、休日の楽しみだった。『お金がかからなくて楽しめることをひとつ作れ』と、口癖のように「散歩のススメ」を説いたが、娘たちも、それを実践できる家庭を築いて欲しい。

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野道での夕暮れ風景

 

 【俳句-②】は、信州の漬け物の代表的な「野沢菜」の収穫をしていた家内が、腰を伸ばして背伸びをした時、額の汗に小春風が吹いていく様を詠んだ。

 昔と違って大きな漬け物樽一杯に、野沢菜を漬けることはない。しかも、減塩運動もあって、浅漬けや薄味で漬ける。我が家では、伝統的な野沢菜漬けの他に、木曽地方の乳酸菌を使った「すんき漬け」を真似て、酸味を加えたものに挑戦している。かつては、「たくわん漬け」にも取り組んだが、維持管理という点で、易きに流れがちだ。自給自足的側面の薄れていく現代生活である。

 ところで、私は季語の「小春風」を気に入った。小春・小春日・小春日和なども素敵だが、額に汗して労働した人を労い、癒すような風が、「小春風」のようなイメージがしたからだ。

 小春風の頃を過ぎると、季節は進み、木枯らしへと変わっていく。

 

 

 【俳句-③】は、私が日課の散歩から自宅に近づいてくると、弱音ペダルを踏んで、家内がピアノを弾いているのが聞こえてきた時の様子を詠んだ。

 田舎でも、特別に人家が離れているので、気兼ねして弱音ペダルを踏む必要もないが、演奏曲目の「家路」のイメージには合っていた。

 ドボルザーク交響曲新世界より」の一部分で、晩秋から初冬の荒涼とした原野の夕暮れを想像させてくれる。「遠き山に日は落ちて」と日本語訳されたキャンプ・ファイヤーで歌う曲と言った方が馴染み深いかもしれない。

 いい曲は、いつ聴いてもいいものだが、「家路」は夕方、それも今ぐらいの頃、そして私が帰宅中というタイミングだったので、余計、印象的だったのだと思う。

 ところで、【写真】は結婚披露宴で家内がピアノ演奏をしたものである。妹の結婚披露宴にと演奏を予定していた長女が妊娠トラブルで、出席できなくなり、2週間の特訓を経て家内がピンチヒッターとなった。曲目は、ベートーベンの悲愴だった。

 

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結婚披露宴でピアノ演奏をする

 

【編集後記】

  俳句会で、私が『散歩で妻と手をつなぐことなんて無いですよ』と話すと、Sさんは、『歌の世界では、少しくらい脚色しても良いんですよ』とアドバイスしてくれた。

 ちなみに、俳句の読み手が男性・女性の場合、それぞれの相手は、妻と夫となるが、共に「つま」と読むということを知った。

 端(つま:それぞれの中心から見て端(はし)に当たり、一方に対するペア)が語源のようだ。

 魚の「お刺身に」付いてくる「刻み大根」を「つま」と呼ぶが、主役に添えて、それを支え、盛り立てるもののことを言うようだ。ちなみに、大根は、刺身を食べた後の消化・吸収を助ける効用もある。

 ところで、私は、「つま(特に、妻)」について、年齢を重ねるにつれ、短歌や俳句などの「夫(つま)または妻(つま)」の心境がわかるようになってきた。

 その説明の為、ふたつのエピソードを挙げる。

 Episode-1:かなり昔のことだが、ある郡部の学校に勤務したことがあり、PTAの会合で参加者の自己紹介をすることがあった。私も若かったが、参加された女性も私ぐらいの年齢だが、『○○◆◆です』と男のような名前を名乗るのである。清楚で美形の女性なのに男の名前みたいと驚いていると、次の女性も、男の名前を名乗るので背景を理解しました。皆、自分の本名ではなく、夫つまりは戸主名を告げていたのです。

 「日本に、こんな感覚の田舎がまだあったのか?」と思いました。そう言えば、仏様の戒名にも、女性の場合、「○室(○の妻・家内であった)」という表現が入れてある場合があります。

 Episodr-2:比較的、最近ですが、『○○◇◇子さんの旦那さんですか?』と私の身分を確認されたことがあります。その人にとって、面識のあるのは家内の方で、その夫なのだから、極めて普通な確認方法です。しかし、なぜか違和感と共に、自分の方が付属品なのだと思いました。そして、女性は、まさにこんな気持ちで、『○○さんの奥さん』と呼ばれているのだなと思いました。

 今の心境は、上記のふたつのエピソードの中間の気持ちです。どちらが主役でもなく、共に主役であり、共に支える側であり、まさに愛し合って、共助し会う関係なのだという意味においてです。そんな感覚で、『夫と妻』を『つま』と表現するのだと思いました。