北海道での青春

紀行文を載せる予定

ひとりでは恐い大自然

 登山には、山脈の縦走やベースキャンプから山頂アタックというような形式はあるが、尾根を行ったり来たりする山行というのは珍しい。今回の知床半島の山行は、図のようなルートで、最終的には知床岬をめざした。

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知床半島行ったり来たり

    【山行の概要】

◆札幌からの夜行列車で、オホーツク海の見える地に着いた。知床五湖を訪ねた後、林道からイダシュベツ川に入り、知床での最初の晩を迎えた。(C1)

◆ハプニング続きの日だった。下級生の滝壺の滑落事故もあり、イダシュベツ川の左股を詰めた所で2泊目となった。(C2)

◆硫黄山にアタックした後、稜線の夏道をとばした。オッカバケ、羅臼岳を越えて、羅臼湖に到達した。ここで、山行中唯一の停滞日を過ごした。(C3・C4)

◆知西別川を下り、太平洋側の羅臼(富士見町)に出た。街で買い出しをしてK氏とのお別れパーティーをした。(C5)

羅臼の漁協で昆布漁の様子を見た後、海岸道路沿いに進み、モセカルベツ川の河口にテントを張った。(C6)

◆サシルイ川を遡行してラウス平に出た。濃霧の羅臼岳だったので、再挑戦も考えたが断念した。三ツ峰の稜線を越えたハイマツ帯でテントを張った。(C7)

◆南岳と知円岳の鞍部から、モセカルベツ川の上流部を経て、本流を下り、2日前と同じ河口のテント設営場所に着いた。(C8)

◆太平洋で昆布漁をしている海岸線を進み、ウナキベツ川の河口で泊まった。歩いた距離では、一番長かった(C9)

◆ウナキベツ川でイワナ釣りをした。水中の餌に近寄ってくるのが見えているのに、釣れなかった。休養日だが、午後は、モイレウシ川の河口まで移動した。(C10)

◆モイレウシ川を遡行したが、ポロモイ台地のブッシュ漕ぎは大変だった。知床岳直下のハイマツ帯にテントを張った。夕方、激しい落雷に襲われた。(C11)

◆知床岳登頂を果たし、稜線を少し戻り、テッパンベツ川を下って、オホーツク海に出た。知床岬に向かって海岸を移動した石浜にテントを張った。(C12)

オホーツク海の断崖に行く手を阻まれ、ほとんど進めなかった。様々なエピソードのあった一日で、蛸岩(たこいわ)で泊まった。(C13)

◆ポトピラベツ川のひとつ南の沢の河口で泊まる。番屋で石狩鍋をいただいた。マスの定置網漁を体験した。(C14)

◆ポトピラベツ川や周辺の沢の上部を偵察した。部の山行記録に無い沢なので、調べてみることにした。午後、少し海岸線を進んだ。(C15)

オホーツク海側から海伝いに知床岬に到達した。少し先の赤岩で泊まった。想像したより遙かに簡単に移動できて、少し拍子抜けであった。(C16)

◆赤岩から遊覧船で宇登呂に渡った。バスと列車を乗り継ぎ、最後は夜行列車で札幌に戻った。全行程は、車中泊2晩、テントで16泊17日の日程だった。

                 *  *  *

 最初の計画では、もう2つほどの沢を使った知床半島分水嶺越えも、話題にして検討していた。特に、「ルシャ川とルサ川」を踏破して半島の中央部を越えるルートは有名で、私は強く希望していた。しかし、Nさんは、既に経験していて、他の沢も見てみたいという理由で、実現しなかった。
 また、全域踏破も計画したが、「イワウベツ川からテッパンベツ川までの海岸線」の間は、山行の日数条件から実現できなかった。もっとも、最終日に遊覧船から見た限りでは、海岸の断崖は本格的で、私たちの実力では、とうてい無理だと思った。

 何度も知床半島の沢を上り下りし、稜線を行き来して、遠回りしながら岬をめざすという試みは、山行の常識からすると、馬鹿らしい。しかし、それが故に、十分に知床半島のすばらしさを体験することができたと思っている。
 
         ≪ひとりでは恐い大自然

 この日(7/27)は、知床半島稜線の三ツ峰とサシルイの間のコルに泊った(C7)後、モセカルベツ川を下り、太平洋に注ぐ河口をめざしていた。2日前にテントを張ったのと同じ場所である。
 羅臼岳への再挑戦は止めることにした。サシルイを経て、双丘のオッカバケの夏道を越え、さらに南岳を越えた。知円岳へと通ずる稜線から下を眺めた。そして、一番ブッシュ漕ぎの少ないだろうと思われるルートを選んだ。ようやく、モセカルベツ川の、地図上の水線二股に達したので一安心である。
 北大ワンダー・フォーゲル部(HUWV)の資料で、モセカルベツ川のことは一応調べてある。しかし、山行記録と概略地図で、実際に道が付いている訳ではないので、基本的には未知な沢である。沢を安全に降りられれば、太平洋につながっているということだけが、一番確かな情報であった。この点、沢の遡行よりは、安心である。しかし、恐いのは、沢上りだと見える滝が、下りだと見えないことである。滝の直上まで行った後で、降りられないことがわかり、引き返してから遠巻きをすることもあるからだ。
 私たちのパーティーの力量からすると、ここはやや無理のあるルートだったかもしれないと思った。それでも、ザイルを使って荷物を先に下ろした後、空身になれば降りられる滝や急斜面もあったが、比較的、順調に沢を下ってきた。

 しかし、明らかに降りることが無理だとわかる大きな滝を前に、チシマザサの密集する沢斜面を遠巻きすることになった。易しいルートや偵察なら、2年生のK君や1年生でもいいが、通常、サブリーダーの私、次にT君、中間にK君と続き、Y君・H君を挟んで、最後尾がリーダーのNさんという順番である。
 藪(ブッシュ)漕ぎの先頭となって進んだ。笹をつかんで、体重を支えながら、かき分ける。私は、眼鏡をしているので救われたことが何度もあったが、笹の先端で目を突く危険もあるので注意が必要である。
 遠くに聞こえる滝の落下音を手がかりに、そろそろ下降し始めても良いだろうと思い、斜面を下り出すと、笹の隙間から対岸の様子が見えて、まだまだ危険な位置だとわかった。それで、すぐ後ろから付いてくるT君が下りようとするのを制し、もう一度、登り直した。しばらくトラバースしていくと、笹が少なくなり、人が歩いたと思われる踏み跡があった。

                   * * *

 山を歩いていて、大きくブッシュなどが踏み倒されているのは、大概、ヒトが通過した形跡である。動物が付けた獣道(けものみち)という場合もあるが、その程度が問題であり、大きく踏み倒してあって、しかも枝が折られているような場合は、間違いなくヒトの歩いた跡である。
 例えば、こんな経験があった。林道を歩いていて、至近距離でエゾシカ、それも角の生えた雄鹿に遭遇したことがあった。突然のことなので、私たち以上に、エゾシカの方でも驚いたとみえて、勢いよく笹藪に跳び込んだ。急いでエゾシカが逃げ込んだと見当をつけた場所に行ってみると、丈夫な笹が壁のようにびっしりと生えている。とても私たちでは、入れそうもない。あんな大きな身体のエゾシカが、必死な勢いで跳び込んだのだから、体毛や血液が付いているのではないかと探してみるが、見つからない。さらに周囲を隈無く調べてみたが、どこにもエゾシカが通り抜けた証拠さえ残っていないのである。一体どんな仕組みで、跡形も残さず、猛スピードで笹の中を走り抜けられるのか、とても不思議に思った。

                 *  *  *

 そんな経験があったので、ヒトの、それも以前に沢登り(下る時よりも、上る時の方が、踏み跡を大きく残すので・・)をした人の踏み分け跡だと考え、「ラッキー」と感謝した。
しばらく道に沿って行くと、さらに笹のない半畳ほどの開けた空間があった。

 だが、何げなく視線を、開けた空間とは反対側の斜面に移した時だ。私は、体が凍り付くような衝撃に襲われた。穴が・・・・、それもヒグマの巣穴が、あるのである。

 それを察知した瞬間、私は、数mは後退りした。そして、振り返った時、すぐ後ろに付いてきているとばかり信じていたT君が、いないのである。どんどん速くなっていく胸の鼓動を感じた。
 『おーい、T。』『T君、Tくーん。』私は、冷静を装って呼びかけた。
 『ここです。』ようやく、T君の返事が返ってきた。声のする方向の笹藪が揺れているので、どれほど心強く思ったことか。現れたT君の顔を見て、高鳴っていた胸の鼓動が、少し鎮まり始めた。
 「一人でないということ」は、すごいことである。冷静な判断力と勇気が湧いてくる。
「今は、夏。冬籠もりの穴だから、ここに活動中のヒグマがいるはずがない」と、気づいた。春先に冬眠から覚め、巣穴を出ると、その後や夏の間は同じ穴を使わずに、他の場所で寝泊まりするという。
 ふたりで穴に向かうことにした。踏み分け道を、やや下がり気味に行くと、半畳ほどの空間ができている。そして、南南西に面した斜面に、長径が50cmほどの楕円形の穴が開いている。穴の中は、黒々としているだけで、何も見えない。
 足は震えていても、「貴重な体験だぞ。中の様子を調べてみろ!」と、もう一人の私が、確かに促すのだが、ついにできなかった。近くに糞も足跡もなく、今は棲んでいないはずである。しかし、今にも穴の中からヒグマがのっそりと出てくるような気がして、穴の傍らまで近づくのが限界だった。「貴重な機会だったので、惜しかったなあ」などと、負け惜しみみたいなことを、今は思う。
 推理してみると、5mほどの長さの踏み分け道は、沢斜面の上から降りてきたり、反対に下から登ってきたりした時にぶつかる、言わば、巣穴への玄関のような存在であるらしい。いつも、ヒグマは、ここまで来てから道にぶつかり、巣穴へと同じ所を歩いていたので、獣道ができたのではないか。その証拠に、踏み跡は必要最小限の幅で、獣道の周囲の笹は、少しも倒れていない。この推理が正しいとすれば、ヒグマは、巣穴の正確な位置を把握していないで、およその方向感覚で動き回り、5m幅の踏み分け道を目印にしていることになる。野生動物の踏み分け道は、よほど何度も行き来しないと跡にはならないので、場合によっては、一冬前後だけでなく、何年か歴史のある住処なのかもしれない。

 笹藪が揺れて、K君とY君が、続いて降りて来ているようである。ふたりには、方向を示す声がけをして、私とT君は、下に降りていくことにした。滝の落下音から判断して、もうそろそろ下って行っても良さそうである。再び、T君との距離は広がってしまうが、大丈夫だろう。一足先に降りて、下で待っていることにした。
 しばらく待っていると、T君が、そして、K君とY君が降りてきた。沢に着くや否や、T君は、ふたりに先ほどのヒグマの巣穴の話を誇らしげにしだした。私は、その話に加わる気持ちにはなれなかった。
 最後尾からリーダーのNさんが、H君に付いて、かなり上の方からやって来ている。沢の様子から判断して、私たちが降りてきた所より、もう少し上流側からでも降りられそうなので、下から誘導した。そうすれば、例の踏み分け道にも気づかずに、降りてこられるだろう。

                 *  *

 それに付けても、訓練された人か、そうすることに慣れた人でない限り、大自然の中で、一人で行動するは恐いものだと、私はつくづく思った。

 この2年後、私は卒業研究で、道北地方の針葉樹林帯の沢に、一人で地質調査に入り、ヒグマが恐くて逃げ帰ってきたことがある。オートバイクで林道の終点まで行き、それから沢を歩いた。沢の上流部に、調査対象の新第三系と白亜系の境があるはずで、推定断層の通過位置と、地質境界に相当する露頭確認が目的だった。
 途中で、低いうなるような音が聞こえた。「絶対に、沢の流水が立てている水音だ」と、何度も自分に言い聞かせるのだが、どうしても「ヒグマのうなり声」に聞こえてしまい、沢を走るように引き返してしまった。走って逃げると、逆に追いかけられるという話を聞いていたので、速歩で、一度も振り返ることはなかった。バイクを駐車してあった林道の脇で、森林作業をしている人々がいたので、歩を緩めた。
 地質調査への強い目的意識があれば、多くの場合は、無理をしてでも藪漕ぎをしたり、岩場でも登ったりして、先に進んでいたのだが、晴れた日で、見通しのある広い沢なのに、なぜか相当弱気になっていた。決して新しいものではなかったが、ヒグマの木肌へのひっかき傷の跡を、途中で見たことで、恐怖心を駆り立てられていたことが原因だったかもしれない。山行を通して、ある程度の度胸を培ってきたはずなのに、汗顔の至りである。
 ヒグマを目撃した訳ではない。たぶん正体は、枯れ尾花ならぬ、岩の間を流れ落ちる水音だったはずである。

 結論として言えることは、自然の中で一人きりになることは、どうしようもないほど、恐ろしいと感じてしまう時があることだ。卒業して、郷里の里山を一人で調査することも時々あるが、ヒグマと遭遇するという恐怖は去ったが、まだ、ツキノワグマがいる。それで、見通しの利かない沢の中や薄暗い森林の中では、恐いと感じることがある。やはり、仲間がいると心強く、調査は楽しくなる。人間という生き物は、単独生活をするようにはできていないという思いを強くする。 

 

 【編集後記】 高校生の頃、小説「伊豆の踊子」の学生さんを真似て、学校をさぼり列車に乗って、高原の森に行き、お弁当を食べて帰ってきたことが何度かある。翌日、担任の先生に呼びつけられたが、「そうか」と言われた時代である。青春時代には、何かを求めた逃避行も似合う。なぜか、そんな日々のことを思い出している。