北海道での青春

紀行文を載せる予定

柴犬物語(前半)

 平成10年10月10日の朝、我が家で4匹の子犬が生まれた。休日勤務で私が出かけた後は、二女が見守り、アース(♂)・シーザー(♂)・エル(♀)・ラブ(♀)の順に生まれたと言う。

 兄弟姉妹犬は風貌や性格が違う。遺伝の不思議さに驚きながら、庭でじゃれ合う子犬の仕草を眺めるのを楽しみにしていた。翌春、人気のラブ犬は除き、家内の友人らに雄犬2匹が選ばれ、我が家を去っていった。私たち以上に、母テリー犬が悲しがった。

 やがて、成長した子犬の為に、家の北と東隅に小屋を作り独立させた。私の母は、犬の名前を混同し、『これは、西の犬かい?』と聞くことがあり、子どもたちは、その度に、特徴を説明していた。

 3匹の犬を連れて野山を散策する日々が、続いた。子どもたちで奪い合うラブ犬、残りのテリー犬、挙動不審犬と称されるエル犬を、私が連れて歩いた。餌を使い呼び戻す訓練をしたが、放すと野生の狐のように山野を疾走し、何度も捜し歩いた。

 ところが、私の世話することが多かったエル犬は、人の意図を理解し、呼べば必ず帰るようになる。そこで、2頭を繋いで解き放った。力強いラブ犬に引きずられつつも、必死に戻るエル犬。母犬とのコンビでは、楽に戻れた。

 子どもたちに人気のあるラブ犬は、なかなか美形で運動能力が高い。高所が好きで、東のブロック塀に登っては、広い世界を眺めた。時折、道路側に落ちた悲鳴に気づき、救助したこともあった。呼んでも戻らない事も含め、両ほほを押さえ注意したが、目だけは反らして反抗する様は、悪ガキ指導と似ていた。

 悲劇は、二女高三の春、東京の長女の所から大学受験をし、佐久へ戻る日の夕刻に起きた。私は、宙づりとなったラブ犬を発見し、もう1時間早く戻って発見していればと悔やんだ。

 帰宅した二女は、まだ温もりが残るラブ犬と対面し、号泣した。犬の遺髪(毛)をお守りに、今でも似た犬を見て足を止める。夢にも現れるほど愛情を注いでいた二女の落胆は、大きかった。

 一年後、母テリー犬が亡くなる。
 M医院での注射後、寝込んだ。獣医師の診察を家族で見守った。10日間ほど生き延びたが、80歳を越える老医師は、自転車で、冬の早朝や晩に往診してくれた。

 残されたエル犬は、4年目の冬を迎える。
 先日、畑の隅の花崗岩の敷石を目印にした2頭の墓に、線香を手向け、『お前の母と妹が埋まっているよ』と話してやったが、わからないらしい。しかし、庭を眺めていた私を見つめる犬の視線を感じて振り向くと、何かを語ろうとするエル犬がいた。
 柴犬たちとの春夏秋冬は、私の家族史の一部となっている。


                     (平成22年 12月 おとんとろ・記)

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エル犬(14歳/16年)