北海道での青春

紀行文を載せる予定

田舎の青い鳥

 祖父が幕末の鉱山奉行であったということで、故・M教授は、先祖代々の地質学者である。私たちが教授と接したのは、定年退職を数年後に控えた頃のことで、風貌は、好々爺と映った。しかし、偉大な業績を知ると、あまりの謙虚さが、寧ろ、畏敬の念に変わるような気がした。そんな教授が講義の合間に話された逸話を、今でも覚えている。
 『最近の学生さんの中には、カンニングをする人がいると聞いて、とても残念です。自然科学を専攻する人間が、嘘を認めるというのは嘆かわしい。大学歴を得る為に、入学してくる人が増えたからでしょうか。』私たちは、襟を正して聞いた。

 続いて、米国の友人宅に招待された時の話をされた。・・空港まで迎えに来てもらい、飛び立った小型飛行機から見える北米大陸の壮大さを味わいながら、五大湖に向けて飛び続ける。やがて、眼下にエスカーやモレーンの丘(氷河地形)が見えてきて、湖の小さな湾状になった湖畔に着陸すると、そこが目指す友人宅であった。湖岸に打ち上げられる流木を、春から秋に拾い集めておいて、冬の暖房に使うのだそうだ。別荘で、地学研究を進めていると言う。
 『同じ人間に生まれて、こんな幸せもあるんですね。あくせくお金儲けをしたい人は、都会に住めばいい。勉強するには、どうしたって田舎ですよ』と、しみじみと語った。
 雑事を離れて研究に没頭したいという願いや、退官後の研究生活に思いを馳せたものなのかと聞いた。私には、エスカーから昇る朝陽や湖に沈む夕日も拝めないだろうが、せめて、心に大きな庭を持ちたいものだと思った。

 

                 *   *   * 

 

 しかし、教授の言う「田舎」という内容も、物理的に辺鄙(へんぴ)な所という意味ではなく、心にゆとりのある生活をしたいと理解していたが、どうも、そういう意味だけではないらしい。

 定期購読している雑誌・MOKU・十二月号『「強盗文化」との決別のとき(神野直彦)』を読んでいて、恩師のつぶやきを思い出したからだ。

 ・・・・日本の商社マンたちが、あるスウェーデン人の家庭に招かれました。「少し、その辺を散策しましょうか?」と、日本人たちを森の中に誘います。すると、五分も経たない内に、商社のお偉方の一人が、おずおずと申し出た。「・・・ それで、いつになったら目的地に着くんでしょうか?」(略)スウェーデンの人々は、都市生活者でも週末になると田舎に行き、森を歩いたり、野菜栽培をしたり、静かに読書したりします。テレビなんかはありません。自然を愛することを自負する国民性ですから、冒頭の「目的地はまだか」という日本人の発言に驚いたわけです。彼らにしてみれば、自然の中を歩くこと自体が充実した楽しいひと時です。時の流れに、限りある我が身を置いて、自然に抱かれて過ごすこと自体が生きることの目的と言ってもいいのかもしれません。(略)  スウェーデンの環境の教科書では、土地に代表される自然と、労働する人間とを、欲望の赴くままに貪り食い、あらゆるものを自己所有してしまう傾向が支配的である文化を、『強盗文化』と、名付けています。そして、今、私たちは強盗文化の時代に生きている、地球を人類の手から救わなければならないと、子どもたちに教えるのです。

 『強盗文化』とは、穏やかではない言葉ですが、残念ながら、現代の私たちの生き方を端的に表している言葉ではないでしょうか。・・・(冒頭のページから引用、紙面の都合で省略、一部修正箇所有り)

 ところで、同じ文章の中で『イースタリンの逆説』という言葉を知った。1970年代、米国の経済学者イースタリン(Richard Easterlin)が、戦後の急速な経済発展を遂げた日本で調査し、「生活に対する満足度は、寧ろ低下している」という結果から、「経済成長だけでは、国民の幸せは量れない」と提唱した説のようだ。

 そんな観点から、自身の生活を振り返ってみた時、身につまされる思いは確かにある。例えば、子どもの頃、母や祖母が「へっすい」で煮炊きするのを見たし、自身、薪で風呂焚きをした経験もある。現代のスイッチひとつで湯が沸いて、入浴できる生活から、そんな不便な生活に戻りたいとは思わないが、裸になって装置に入れば、身体を洗ってくれて、湯つゆをも乾かしてくれる「ドラエモン風呂」が、もし、発売されても欲しくない。今のままで満足である。

 一方、家族総出の農作業に田畑へ出て、皆でお茶を飲む。ご馳走がある訳でもないのに、十分過ぎるほど幸福であった自分や家族のこと(今は亡き人々)を思い出す。物理的に見ると、人はあの程度の物の中でも、幸福だと感じられるものらしい。

 そして、時代は変わっていく。我が子が小学校高学年になった頃、「日曜日の朝、近くの子に呼びかけて、生活道路の掃き掃除をしようか」と、家族に提案したことがあった。私たちが小学生の頃、毎週続けてきた活動であったからだ。素直な二女は話に乗ってきたが、白目になって怒り出した人がいた。『社会体育もあって忙しいのに、そんなことを言い出した日にゃ、私は、ここに住めなくなるわ!』

 議論は尽くしたが、『毎日曜日の朝7時に起きられる小学生もいないし、第一、ご近所に子どもも少ないから』という、少しは冷静で、穏便な反対理由で却下された。

 「田舎」のイメージも変わりつつある一方で、長引く経済不況の影響で、「都会」の持つ華やいだ雰囲気も、揺らぎつつある昨今だ。新聞では、千円のネットカフェでは冬の夜明かしができないので、百円で我慢する「マクドナルド難民」が特集されていた。日本の都市の話である。『衣食足りて礼節を知る』とは言うものの、衣食を足らす手段が奪われていては、どうにもならない。解決には、一国家努力はおろか、世界各国で挑戦しても、極めて困難な実情だ。

 『世界全体が幸福にならないうちは、個人の幸福はありえない。(宮沢賢治)』

・・中学の卒業文集で、「私の好きな言葉」に選んだ。そんな理想は持ちつつも、現実の困難な問題に対して、微々たる力さえ発揮できない自分に、「何が、できるだろう」と問うた時、『物やお金を使わなくても楽しめることがあると、まず自分で実践し、近くの人にも伝えていこう』と思いました。でも多様な価値観の中では、難しい。実際、家族から不平が漏れることもしばしばなので、実践は、かなり難しいのかもしれない。
              平成25年 1月14日(大雪の成人の日)・記

【忙中閑話】   職員文集

 A小学校では、「ガリ版刷り」の時代から、途切れることなく職員文集が続いていた。正確に言うと、全校児童の文集に、全職員が寄稿する形式だが、すばらしいことだと思う。校長室には古い年度の物も保管されていて、児童は自分の父母の作品を見ることもできた。上記は、平成24年度・A小学校の文集に寄せた。

 

【編集後記】

 寝る前には、読書しながら眠りに入るが、まとまった読書の機会が少ない。夏野菜の植え付け等が一段落し、天気も悪いので、文芸春秋六月号を読んだ。新型コロナウイルス感染に関する話題が主で、各界の識者が、様々な観点から意見や情報を寄せていた。

 それらの話題とは別に、古風堂々・十三「格言あれこれ」(藤原正彦さん)の一文を見つけて、希望の持てる格言に触れて感激している。近所のお寺の玄関掲示板に、『これからが、これまでを決める』とあったと言う。定年退職をして、それなりに目標をもって生きているつもりだが、時々、前向きでなくなる。これではいかんぞ! と、励まされた気がした。