北海道での青春

紀行文を載せる予定

読書旬間中の職員室

 本校の読書環境は、実にすばらしい。N先生文庫基金の恩恵にあずかっていることは言うまでもないが、特に本年度は、プレハブ建ての図書室が、元・視聴覚教室に移って、装いも新たになった。更に、師走の読書旬間の企画は充実していた。係の先生方のお陰で、咳も『ごほん』とするくらい、私も読書熱に感染した。

 実際、外部からの読み聞かせグループやPTA・職員による本の語りが5回、昼の校内放送による民話朗読が6回、児童会図書委員のブラック・シアターも2回あった。毎晩、20分間の家庭読書の機会確保も、大変すばらしいと思う。本を通しての会話が、学校でも、家庭でも飛び交う、A小学校なのです。

 「図書館の数や読書人口は、その国の将来を占う」という話を聞いたことがある。読書は、地味で静かな営みだが、将来への着実な一歩であるような気がする。故・N翁は、この地に学ぶ子らの大いなる活躍と共に、故郷発展への願いを、文庫基金に託したのだと思う。

 

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 そんな読書旬間中、A小職員室でも、放送による朗読を聴きながら、給食卓では感想に花が咲いた。しかし、どうも分析的で、味わいが薄い。その度に、図書室のT先生に、『もっと、浪漫とメルヘンの世界を味わって』と、たしなめられていた。

 印象深いのは、「天道様金(かね)の鎖」という朗読後のことである。
 話の概要は、3兄弟が山姥(ヤマンバ)と出会い、末子が捕まり縛り上げられたが、兄二人は木の上に逃げた。捕まりそうになった時、天道様(太陽)に祈ると、空から金の鎖が降りてきた。それを登って逃げる。二人を追ってきた山姥は、途中で突然鎖が切れ、蕎麦畑に落ちて死んでしまう。その血が垂れた蕎麦の根は、それ以来、紅くなってしまった・・・という民話である。

 『弟はどうなったんだろう。』
 『お釈迦様と蜘蛛の糸の話が合体したみたい。』
 『ロシア民話でも、三兄弟がいると、末子が幸福となる話が多いのに、どこか変?』
 等々と、口々に論評が飛び交い、話が盛り上がった。

 私は、血が垂れて蕎麦の根が紅くなったことから連想し、思い出した場面があり、それを話題にした。
 映画『ビルマの竪琴・市河 崑 監督・中井貴一主演(水島上等兵役)』の作品のことである。原作は、第二次世界大戦中の一部史実に基づいたもので、竹山道雄さんが、児童向けに書いた「赤とんぼ(昭和22年~)」による。私は、いくつかの場面で感涙した。

 ビルマ(現・ミヤンマー)戦線の中、日英両軍で歌った「埴生の宿(スコットランド民謡)」の有名な場面はもちろんだが、とりわけ、水島上等兵が、大きなルビーを見つめるシーンでは、感極まった。

 ・・・捕虜となった水島上等兵は、三角山と呼ばれる要塞に立てこもり抵抗する日本人部隊に投降を呼びかける為、ひとり向かうが、徹底抗戦する部隊は、空しく全滅した。

 帰属部隊への帰路、無惨に放置されたままの戦死者の姿を目にし、さらに深く傷つく。河原で拾った真っ赤なルビーを両掌に抱いて、見つめている水島の回りに近づいてきた村人は、『ルビーは、亡くなった人の魂だ』と告げた。
 その瞬間、『自分は日本には帰れない。戦争で亡くなった人々を供養する為、ビルマに残る』ことを、決意した。

 ・・日本で帰りを待っている許嫁、父母や家族への望郷の念を断ち切った水島上等兵の高邁な決断に加え、宝石の美しさを金銭に換算しない、ビルマ人の崇高な自然観に、私は深く感動した。

 そして、竪琴を携え、日本の捕虜部隊の前に現れたビルマ僧に、仲間たちは、『おーい、水島。いっしょに日本へ帰ろう』と呼びかけるが、静かに去っていく。映画は、復員船に乗って日本へ向かう夜の甲板で、『水島は、なぜビルマに残ったのだろう?』と、つぶやく仲間の会話が余韻となって、終わるのである。

 ところが、主題歌のメロディーをBGMに、字幕が銀幕に流れた時、私は、完全に興ざめした。そこには、『ビルマの大地は紅い。戦いで流れた人々の血で、紅く染まったのだろうか』と、あった。

 「ビルマのような熱帯地方の大地が紅いのは、有機物が、地中の微生物によって完全に分解された上に、造岩鉱物は、ラテライト化作用で、鉄やアルミニウムの水酸化物となって、紅い粘土鉱物になるからである」という地質鉱物学的成因理由が浮かんできたからだ。この感動的な映画も、「この字幕さえなければ良かったのに」という思いがしてならない。まさに、徒然草「神無月のころ」の章の結びにある、『この木なからましかばと、おぼえしか』である。

 

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 そんな話を、「山姥の血が垂れて、蕎麦の根が紅くなった」から連想したと、給食卓でしたところ、K校長先生曰く、『監督は、無情に流された血液と、大地の紅色を繋げて、鑑賞する人々の涙を誘いたかったのかもしれない。そう思う人がほとんどで、教頭先生のような人は少ないですよ』と。

 そう言われてみると、確かに自身には、ある種の「こだわり」があることに気づいた。
 私は、ビルマの村人が『ルビーは亡くなった人の魂だ』と、水島上等兵に告げる場面で、異常に感動した。映画の展開で、正確に言うと、水島は、ルビーを手にした瞬間には、ビルマ残留を決断していない。どれほど日本帰国を望んでいたか。それは当たり前過ぎる。そして、仲間の待つ部隊への帰還では、葛藤が続いた。でも、なぜか私は、映画の見せ場とも言うべき、望郷の念を断ち切る心理描写に匹敵するくらい、ビルマの民の自然観に、引っ掛かった。

 キーワードは、ルビーと魂である。ルビーは、酸化アルミニウムとも言うべき熱水性変質鉱物で、鋼玉・コランダムの仲間である。微量に入る不純物の内容で、青いサファイアや赤いルビーになる。研磨剤にも使われる堅い物質である。原石も磨かなければ、宝石とはならないが、映画では、川の流水で磨かれ、しかも拳大の美しいルビーだった。貴重な物に違いない。村人は、敗残日本兵に対して、さりげなく、そして、慈愛の表情で「大切な人の魂だ」と伝えた。それを聞いて、ルビーを両掌で包み込むようにして拝み、目を閉じた水島だった。

 原始的な「アニミズム」なのかもしれないが、仏教国・ビルマの素朴で心豊かな自然観なのかと理解した私は、そのことに感動した。
 それは、ムドン捕虜収容所への帰還中、日本兵の身元を偽る為に、高僧の法衣と腕輪を盗んだ水島が、ビルマの人々から優待され、崇められていく度に、自身が、偽りの高僧であることに対する精神的呵責を通して、仏の道に導かれていったこととも矛盾しない。
 穿った見方をすれば、水島からルビーを奪う村人がいたかもしれないし、反対にルビーを賄賂に便宜を図ろうとした水島がいたかもしれない。しかし、ビルマには、そんな悪党は、ひとりもいない。宝石を死者の魂が変化したものと見る感性、自然観なのだから。
 水島も、ルビーが亡くなった人の魂だと、心から信じたのだろうと思う。

 もうひとつ、感動の背景にあったものは、私の個人的秘密に起因するのかもしれない。私の若い頃の憧れの職は禅僧であり、特に、修行僧に興味があった。その後の人生航路で、それらと正反対な歩みをしたとも思わないが、少なくとも、修行僧は遠慮したい。
 たぶん、行ってみたい旅行地が、シベリアの雪原や針葉樹林帯から、珊瑚礁の海に変わったようなものだろう。大自然は好きだが、今では、敢えてブリザードの雪原に立ち向かおうとは思わない。そんな過去の自分に、戻りたくても戻れない寂しさも、多分ある。

 わずか七分ほどの民話朗読を聴き、「てんでに」感想を述べ合える、大変に面白い職員室だ。読書感想文ならぬ、読後座談会があってもいいかもしれない。
                          平成24年 12月30日

 

【忙中閑話】 A小PTA文集「みずくさ」

 A小のPTAでは、伝統的に文集「みずくさ」を発行していた。昔のことは知らないが、その年に入学した1年生と卒業生(6年生)の保護者が寄稿した。新しく赴任してきた教員も対象である。(希望者も可能であり、文章だけに限らない。)
 ページ数も多少の幅があったので、両親が寄稿する家庭もあれば、反対に、両学年が重なり、『困った』と嘆く人もいた。しかし、意義深い文集だと思う。
 文集の名前「みずくさ」は、校歌一番の『水草清き』に由来する。・・・「種」名はないので、どんな水草でもいいのだが、私は、バイカモ(梅花藻)を連想した。

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バイカモ(梅花藻)

 私の子どもの頃の小川には、別名「金魚草」と呼ぶ、バイカモがどこにでも見られたからだ。しかし、今や、見つけて歩かないと無い。代わって、オオカナダモが、どこにでも見られるようになっている。明らかに水質の変化で、洗剤使用による「リン化合物」の増加だと思う。
 下水浄化により、ホタル(蛍)と共に、思い出の水草の復活を待っている。
 余談ながら、生物のテストで、『バイカモ(梅花藻)は、何類ですか?』という問題を出して、「ソウ類」と間違える中学生に、私は『花の咲くソウ類があるか!』という理科指導をしていた。(今でも、恨まれていそうである。)
文章は、平成24年度・A小学校PTA文集「みずくさ」に寄稿したものです。

 

【編集後記】   ミャンマー国に対するイメージ

 ビルマは、1989年(平成元年)に国名を「ミヤンマー」に改めた。軍事政権に対する悪いイメージを消し去る為だったと言う噂もあるほどである。

 私のビルマにたいするイメージは、本文で述べたように実直で崇高な仏教徒であるが、これはこの国の約7割を占めるビルマ族のことである。その後に知ったが、シャン族やモン族のような比較的多数の民族もいるが、国内には130余りの少数民族がいて、各地で民族独立の動きがあるようだ。これを、軍隊が制圧している。

 ビルマ族VS少数民族の対立(闘争の原因)は、古くは、中国南部にいた少数民族(先住民)を漢族が追い出したことで、ビルマへ逃げてきたようだ。そして、比較的近世では、英国の植民地支配の折、この対立を利用した分割統治が感情的対立の背景にあると言う。

 さらに、最近の話題では、イスラム教徒の少数民族ロヒンギャに対する軍隊の弾圧や排斥(一部は、バングラデッシュへ避難)の事件を耳にする。

 アウンサン・スーチンさんの民主化イメージに抱いた印象から遠ざかっていく。なぜか、ビルマの竪琴で描かれた偶像が崩れていくような気がしている。