北海道での青春

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佐久の地質調査物語(瀬林層-1)

 第5章 瀬林層と内山層

 瀬林層は、特異な層準で、複雑な問題を含んでいました。これは、白亜系の地質発達史から見た時、石堂層と三山層という海進期に挟まれた海退期に当たり、しかも同じ瀬林層でも、複雑な堆積環境から、地域差があったことと関連がありそうです。

 瀬林層の堆積盆は、徐々に小さく浅くなり、浅海や汽水域になったり、陸域に転じたりした後、再び海が深くなっていった経緯があるので、岩相が多様化し、層準そのものが欠落した場合もありました。

 山中地域の東側地域では、白亜系を「北相・中相・南相」に分類し、堆積場所と岩相の違いを強調している文献がありました。佐久地域では、あまり関係ないだろうと思っていましたが、断層移動による地層の復元と、各沢の地質柱状図を検討すると、都沢のように上部瀬林層が欠落していたり、大野沢のように陸域化していたりしたことがわかりました。(第1章「5.隣接する瀬林層下部層の謎」を参照)

 この章では、瀬林層の見られる沢を取り上げます。それらの中で、多くの沢では内山層も観察できるので、併せて紹介します。

 

1.大野沢支流・第4沢の調査から

 平成5年8月12日に、大野沢支流第4沢の調査をしました。大上林道から入った沢の入口(【図-①】)は、礫岩層です。礫種は、主に白色~灰色チャートで、閃緑岩礫も含まれていました。最大経は、5cmです。
 入口から80m入った所にも砂礫層があり、ここにも閃緑岩礫(最大経10cm)が含まれていました。
 沢が湾曲する標高1010~1030m付近では、珪質の灰色中粒砂岩が卓越し、
小さな構造谷のような地形になりました。

 1020mでは、薄い礫岩層を挟み、礫種はチャート礫の他に、結晶質砂岩礫(最大経10cm)が多いという特徴がありました。

 1030m(【図-②】)では、珪質砂岩層に黒色泥岩と礫岩(灰・黒色チャート)を挟んでいました。走向に多少の振れ幅はありますが、60~70°の南落ちです。
 沢の標高1040m付近(【図-③】)には珪質の灰色中粒砂岩を造瀑層とする滝があり、礫岩層(最大経15cm)と、わずかに黒色細粒砂岩層を挟んでいました。ここに、構造不明な部分があり、断層角礫ではないかという話題も挙がりました。
 沢の標高1050m付近は、緩く東に振れる部分で、東側と正面から尾根が迫り、崖崩れが多く、珪質砂岩の転石に覆われていました。

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大野沢支流第4沢のルートマップ



 沢の標高1055m付近(【図-④】)には、全体で10mほどの「三段滝」があります。粗粒砂岩をマトリックスとする礫岩層で、白色チャートの礫が多いので、全体が白っぽく見えます。下から、一段目(落差3.5m)、左斜めに8mの滑滝、二段目(落差2.5m)、滝壺の脇で「EW・30~45°S」、三段目(下に滝壺・落差2m)でした。
 三段滝は、左岸側から登り始め、滑滝を横切り、右岸側から滝の上に出ました。登攀に気が向いて、途中で走向・傾斜を測定しただけで、細部の情報は見逃してしまいました。珪質の砂岩層も含んでいました。(【図-④途中】)
 滝の上は再び、珪質の灰色中粒砂岩となり、標高1065m付近(【図-⑤】)に、二枚貝化石(確認のみ・小林正昇資料・10.June.1990)を含む黒色泥岩層があり、礫岩層、珪質砂岩層となります。やや平坦部が続きます。

 「標高1070m付近二股」合流点から下流へ約8mの地点(【図-⑥】)から、内山層基底礫岩層が現れました。ここは腰越沢と共に、内山層分布域・南部地域の基底礫岩層を観察するのに適した場所です。分級(sorting)が悪く、直径30cmを優に越える巨大な礫、寧ろ、礫と言うより岩塊のまま入っています。ただし、全体が、みごとに削られた円礫であるという特徴があります。礫種は、白色~黒色までのチャート礫が多く、珪質および結晶質砂岩の礫も含まれています。露頭幅は、約10mです。

 

 

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内山層基底礫岩の露頭(大野沢支流第4沢)

 二股の上流、標高1080m付近から、黒色頁岩層が露頭幅30mに渡って続きます。礫相から泥相への急変は、内山層最下部の特徴です。傾斜も北落ちに変わりました。
 そのすぐ上流には、泥優勢な灰色中粒砂岩と黒色頁岩の互層部があり、「N40°W・48°NE」のデーターを得ました。

 標高1085~95m付近(【図-⑦】)は、再び、黒色頁岩層が続き、二枚貝の化石を多産する層準がありました。
 沢の標高1000m付近で、黒色頁岩層の中に、青味を帯びた灰色・凝灰質泥岩層(層厚60cm)が、2層準、挟まれていました。
 標高1105mの二股付近では、灰色細粒砂岩が優勢な、黒色頁岩との互層が見られ、砂質傾向が強まります。二股の上流では、凝灰質泥岩層(層厚8m)が、黒色細粒砂岩層に挟まれていました。層理面が不明瞭で、走向・傾斜は測定し難いですが、南落ちに傾斜が変わっているようにも見えました。

・・・後述する「第3沢の調査」から、この傾斜が変わる辺りに「都沢断層」が通過していることがわかりました。

 標高1110m~1140mでは、砂質な黒色頁岩と灰色細粒砂岩の互層が続き、標高1030m付近(【図-⑧】)で、「N30°W・20°SW」と、明らかな南落ちを確認しました。また、二股手前8m地点では、「N70°E・20°S」でした。

 沢の標高1140mで、二股となります。右岸側からは流紋岩の転石がありますが、左岸側からはありません。本流には、落差2mの滝があり、青緑色を帯びた灰色凝灰質砂岩ないしは凝灰岩で構成されていました。ほぼ東西方向の走向で、南落ちと判断しました。本流を遡航する前に左股沢を調査し、沢の標高1170m付近(【図-⑨】)までは、凝灰岩層が分布していることを確かめました。

 この後、引き返して本流の調査に戻りました。
 標高1150m二股付近は、凝灰岩と黒色細粒砂岩の互層で、「N60°W・60°S」の走向・傾斜のデーターを得ました。
 沢の標高1160m付近では、露頭幅15mの礫岩層があります。分級が良く、最大径でも0.5cmと粒度が揃い、灰色~黒色チャート礫でした。
 標高1170m付近で珪質の灰色細粒砂岩層、標高1180m付近で同質の礫岩層、標高1190mで凝灰岩層を確認しました。
 沢の標高1200m付近の二股(【図-⑩】)で、二枚貝化石を含む黒色頁岩層があります。その上流5mで沢水は伏流してしまいました。さらに上流で、再び水流を確認しましたが、ほとんど露頭が望めないと判断し、標高1220m付近で、調査を終えました。

 

2.大野沢支流・第3沢の調査から

 大野沢支流第3沢は、第4沢の調査(平成5年)の翌年に入った沢ですが、不明な箇所が多く、3回の調査(10~11.Sep.1994/28.Sep.1996)を行ないました。【下図を参照】

 

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大野沢支流第3沢と第4沢は、つながらない

 

 大上林道の標高980m付近に第3沢の入口があります。ここから西へ約30mほどの露頭(【図-①】)からは、黒色頁岩層の中にシダ植物化石を多産する層準(瀬林層の下部と上部の境目、分帯では下部層の最下部)が見られました。 第3沢の入口から、20mほど入ると、珪質で明灰色中粒砂岩を主体とする層に、風化すると黄土色になる中粒~粗粒砂岩と、礫岩層(最大径2cmチャート礫)が挟まっていました。岩相から、下部瀬林層と思われます。(【図-②】)

 この少し上流に、黄色の大型ポリタンクがありますが、これは、宿泊施設・臼石荘の簡易水道水の源泉ですので、濁さないようにしましょう。ちなみに、珪質の明灰色中粒砂岩層で、「N50°W・70°NE」のデーターを得ました。花崗岩大礫を含む礫岩を挟み、珪質の砂岩層が続きます。

 沢の標高1020m付近(【図-③】)では、花崗岩の大礫を含む礫岩層が見られました。長径を北北東-南南西方向に向け、敷石のように配列していたので、最初、人為的に並べたのではないかと思ったほどでした。3個の巨大な礫の内、最大礫は、30×45cmにもなります。黒色頁岩片も円礫で含まれていました。
 この上流に、方解石の脈(calcite vein)が入る珪質で塊状(massive)の砂岩が、滑滝を形成していました。

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花崗岩の巨礫入り礫岩(第3沢・図3地点)

 沢の標高1035m付近(【図-④】)から、泥が多くなり、灰色中粒砂岩と砂質黒色頁岩の互層が見られます。南落ち(EW・70°S)とも、反対に北落ちとも見える構造不明部分もありました。全体構造を代表しそうな「N40°E・60°SE」を採用します。(図には、記入なし。)

 また、平成8年の調査では、同行した松川正樹先生の鑑定で、量はわずかですが、発見した二枚貝化石が、「Costocyrena radiatostriata」と「Paracorbicula sanchuensis」というシジミ貝類であり、下部瀬林層であると判断しました。

 そして、標高1040mの二股(【図-⑤】)付近にかけて、鑑定をお願いしようと予定していた化石層準があります。

 平成6年に、黒色中粒砂岩層から、ハマグリやマテガイに似たもの、シジミ類の二枚貝化石を見つけていました。また、広葉樹の植物化石もありました。
 『(向斜構造から、瀬林層の下になるので、岩相も似た石堂層?と思っていたので)もし、白亜系の中から広葉樹化石の発見となると・・』と、もちろん冗談ですが、期待していました。松川先生は、一目見て、『白亜系ということは無いです。内山層のものでしょう』ということになりました。

 すると、標高差でわすか10mにも満たない近接した地域で、白亜紀後期の地層(下部瀬林層)と新第三紀中新世の地層(内山層)が接していることになります。内山層基底礫岩層を欠いていることと考え合わせると、断層が考えられます。【図-④】と【⑤の間】に都沢断層を推定する根拠になりました。

 標高1040m二股の上流5mからは、熱変成を受けているのか、いくぶん硬い砂質の黒色頁岩層が出始め、標高1070m付近まで、砂質の黒色頁岩層と黒色細粒~中粒砂岩層の互層が続きました。
 沢の標高1080m付近(【図-⑥】)には、灰色粗粒砂岩層があり、標高1090m付近から、構造的に特徴のある暗灰色粗粒砂岩層が見られました。全体は、粗粒砂岩ですが、中に砂質黒色頁岩片やラミナ構造を残す細粒砂岩片を含んでいます。堆積後、ある程度固結したものが破壊され、粗粒砂岩に取り込まれた二次堆積と思われます。

 沢が西に振る、標高1100m付近(【図-⑦】)では、砂優勢な黒色中粒砂岩と黒色頁岩の互層が見られ、「N50°E・30°NW」の走向・傾斜でした。
 標高1110m~1140mにかけて(【図-⑧】)、(ア)二次堆積と思われる黒色頁岩片を含んだ砂岩層、(イ)反対に、灰色細粒砂岩(ラミナ)が、泥によって切られた構造の砂質黒色頁岩層、(ウ)灰色中粒砂岩層と砂質黒色頁岩層の境が、短冊状に接している構造があります。二次堆積や堆積途中での堆積物の移動(混濁流堆積物までには達していないと思われる)を示唆する異常堆積構造が認められました。

 沢の標高1150m付近(【図-⑨】)には、凝灰岩層や凝灰質中粒砂岩層がありました。砂岩層には、薄い黒色頁岩層が挟まれ、黄鉄鉱も含まれています。
 その上流部(【図-⑩】)では、再び、黒色頁岩層と黒色中粒砂岩の互層が見られました。沢水の途切れる標高1200m付近まで踏査し、調査を終えました。

 

 【編集後記】

  三回ほどに分けて、瀬林層を中心とした調査の様子を物語ろうと思います。

 これまでのように、大きなドラマが少ない上に、岩相の記述が多くなるので、やや興味ある内容になりにくいですが、そこは、当シリーズの「はじめに」で紹介したように、地道な調査活動によって地質図が組み立てられていくということと、失われたり消えたりしていく露頭の様子を後世に伝える為という趣旨をご理解ください。

 尚、文章を読み返しながら、当時の沢での会話や露頭の様子が、懐かしく思い出されてきました。例えば、第4沢の内山層基底礫岩層の後、すぐに深い海の堆積相を示す黒色頁岩層が現われ、堆積盆の環境は、こんなにも急速に変化するのかと驚きました。

 また、第3沢では、都沢断層の根拠のひとつとなった、白亜紀と新第三紀の化石が、近い距離で分布していることに感動すると共に、証拠を見つけたぞという喜びも味わいました。

 それにつけても、松川正樹先生には、いつも大切な機会に立ち会っていただいているような気がします。適切なご指導に感謝しております。(おとんとろ)