北海道での青春

紀行文を載せる予定

佐久の地質調査物語(最終回)

     お わ り に

 「矢沢の調査で、ひとまずのまとめ」としたように、山中地域白亜系を中心とした佐久の地質調査物語は、これで終わりにします。平成4年度~平成8年度の5年間で調査した範囲の話題です。その後に足を運んで、追加した内容と、まとめるに当たって調べた内容も含まれています。
 実は、原稿の大半は、平成9年度~平成11年度(私の「少年自然の家」勤務の頃)にできあがっていたのですが、不明な点や疑問について調べてみると、私たちは、ずいぶん先端的な地学情報から、ものすごく遅れていることがわかりました。
 最も端的な例は、私たちは『山中地溝帯(さんちゅう・ちこうたい)』という名称を「固有名詞だから」として、勝手に解釈して使っていましたが、最近では、「山中地域白亜系」または、「山中層」と表現されています。学生時代に使った「地学事典」を頼りに、情報を集めている私たちでは、完全に最先端の情報から取り残されています。
 だから、基礎資料の内容は自信をもって紹介できますが、その解釈は、かなり昔の知見で解釈しているのではないかと、不安になります。

 しかし、次の約10年間(平成11年度~平成20年度)にわたり調査した「内山層」と、その後に、調べつつある、もう少し新しい時代の地層(兜岩層や香坂層など)のことも紹介したいので、まさに、『観察者として、とりあえず、わかってきたこと』を紹介しようという気持ちになりました。
 その際、自分たちのものでない図版を使用する場合、「私たちにわかる内容に嚙み砕いて表現・利用する」目的で、引用したことを明記しましたが、著作権など法律的な点では不安です。多くは、インターネットや既に公表されている論文内容ですが、問題のないことを祈ります。

 

 ところで、次の3点の疑問は、自分なりにある程度まで理解できたように思っています。

①従来、下部白亜系とされてきた大月層(初谷層)の中に、強い圧力跡のある「剪断された泥岩メランジュ」があり、山中地域白亜系と違うと感じていましたが、関東山地の地体構造区分の「跡倉ナップ群」に対比されていることを知り、構造理解が深まりました。

 

②白井層(希に石堂層)で「軟弱砂岩」を見つけ、白亜系に近接する時代の枕状溶岩塊であると解釈すると、白井層の特徴がうまく説明できると推理しました。私なりに納得しているのですが、どうでしょうか。

③最大な謎であった蛇紋岩を含む岩体が、「蛇紋岩メランジェ」という状態で、固体移動(貫入)してくることの意味が、なんとなく理解できました。

 

 さて、次の「地質調査物語」に挑戦したいと思います。平成12年度から委員会に参加し、興味をもって追究してきた内山層のコングロ・ダイクです。私たちの見聞きしたり、集めたりした各沢の露頭の基礎データを後輩らに残す為ということが最大の目的ですが、山中地域白亜系の調査の倍の期間と倍以上の範囲なので、ちょっと大変になるかもしれません。

 がんばって、取り組んでいこうと思います。(おとんとろ)