北海道での青春

紀行文を載せる予定

令和5年 9月の俳句

      【長月の句】

 

① 木漏れ日の 柔花(やわはな)捜す 秋茗荷(ミョウガ)

②  収穫の 轟音去って 蝗(イナゴ)とり 

③ 入日さす 南瓜(カボチャ)の蔓を 北へ矯(た)め        

               ≪収穫の秋・三題≫

 

 夏休みが短い長野県では、お盆が明ければ2学期が始まり、朝晩は涼しく感じられるようになるものなのだが、近年は、特に今年は、9月に入っても暑い日が続いた。「確か9月1日に、ニンニクを定植したなあ」という記憶があったが、あまりの暑さのせいで、「10月1日の間違いだったかな?」と疑い始めるしまつだ。8月31日に、種苗店で青森県産ニンニクの種球が売られているのを見て、安堵すると共に、種球3㎏を購入してきた。

 ところが、今年はニンニクを植える畝を作ってなかった。なぜなら、錆病が、2年続けて発生してしまっていたので、定植場所をまだ決めてなかったからだ。急いで南瓜を育てていた区画を整理して(9/2~3)、畝を作り(9/6)、そして、ようやく定植(9/7)できた。
 私の農作業の話なら例年より段取りが少し遅れた程度のことだが、グローバルな世界では、様々な政治問題と共に、自然災害による被害と苦難が勃発していた。

 いくつかある中から、内容を3つに絞り込むと、ひとつ目は、東京電力福島第一原子力発電所のALPS処理水の海洋放出に対して、中国政府が日本産・海産物の輸入全面禁止策を取ったことである。その後のIAEA総会でも、執拗に議題にしてきた。加えて、中国人民が、日本各地へ抗議の国際電話をかけてくるという、まったく正気の沙汰とは思えない事態がしばらく続いた。

 二つ目は、現地時間9/8の23時11分頃、モロッコアトラス山脈の北側、マラケッシュ・サフィ地方の地下19㎞を震源とするM6.8の地震が発生した。日本の震度階では最大5強~6弱と推定されるが、泥レンガや石積みだけの構造物なので、建物倒壊により2.95万人以上の人が亡くなった。世界文化遺産に登録されているマラケッシュの旧市街地は、壊滅的な状況となったと報じられた。

 そして、三つ目は、9月始めにイオニア海で発生した低気圧(台風)が、地中海を南下し、リビア東部に上陸した。デルナ市上流の2つのダムが大雨で決壊し、大洪水となって押し寄せ、死者7200人以上、さらに1万人近い行方不明者がいると伝えられている。

 そんなニュースを見聞きするにつけ、私は、平和な日本の、しかも、さらに平和な田舎で、のうのうと暮していてもいいのかという自責の念に駆られる思いである。それでも、真剣に生きている私なりの現実生活もある。今月は、農業体験の中で、感動した出来事を俳句に詠んでみようと思う。


 【俳句-①】は、『茗荷を取ってきて』と言う妻の依頼に快く応えた私だったが、収穫に戸惑った挙句、無事に収穫できた嬉しさを詠んでみた。季語は「秋茗荷」で、秋である。

茗荷(ミヨウガ)の花と蕾


 【写真】では茗荷の白色の花や蕾が良く見えるが、我が家のものは、カラマツ林の下草の中に自生しているものなので、叢に隠れて良く見えない。しかも、夕刻に近い木漏れ日の中である。しかし、実のところ、私は、「茗荷」なるものは見たことも、食べたこともあるが、まだ取ったことは無かったので、どこに生えているのか知らなかったというのが真実であった。


 茗荷(ミヨウガ)という食べ物は、【下の写真】のようなものであり、私の経験では、冷や素麺や蕎麦の薬味として良く利用した。添えられると、独特の味わいがあって満足する。そんな食体験はあったが、収穫した実体験がなかったので、茗荷の上の方ばかりを見ていた。
「茎の一部かな?」という発想であったが、見つからない。「ラッキョウに似ているから地下茎か?」と思って、根の部分に視線を移した。すると、何やら周囲の色とは異質の白い、ただし、(時期が遅いので)落ちて少し色褪せたものがあった。拾い上げようとして、私の知っている茗荷を見つけ、歓喜した。「そうか、ここにできるのか」と理解した。そして、まさに「柔花」の下を探せば、茗荷があることを発見し、収穫したのである。・・・・私は、馬鹿にされるのは承知で、妻に、茗荷収穫の報告をした。

 

茗荷(ミョウガ)

 

【俳句-②】は、大型コンバインによる稲刈りの後、わずかに数匹ではあるが、蝗(イナゴ)を発見したことで、かつての「蝗とり」の思い出が蘇り、感動したことを詠んでみた。季語は、「蝗とり」で、秋である。

稲の収穫風景

 佐久地方の稲刈りは、大型コンバインが、数列の稲を根本からかき集めて持ち上げ、稲穂の籾殻付きの米だけを収穫し、稲の茎は粉砕する形式が一般的である。収納タンクが、いっぱいになると、待機しているトラックの荷台に収穫米を移す。(【写真・上】を参照)
 但し、粉砕せずに、稲の茎を必要とする場合は、稲束が作れる機能も備わっている。我が家では、一部、稲束にしてもらい、果樹と家庭菜園用、お盆の松明(藁を燃やす)にしている。刻まれた残りの藁は、可能な限り回収して畑に入れると、半年ぐらいかかって分解され、大地に還元されていく。
 私の子どもの頃までは、農家の冬の藁仕事で、様々な方法で利用していたが、今では、大型機械による農作業の能率が悪くなるからと、稲藁を野焼きしている農家も多い。
 (余談だが、稲作は広くアジア地域で営まれてきたが、稲藁を捨てたり燃やしたりしないで、様々な方法で完全に利用していたのは、日本民族だけらしいことを知り、農業分野でも、日本文化の奥深さに感動した。)

              *    *    *    *

イナゴ(蝗)

 さて、「蝗とり」の思い出である。
 私の妻が小学生の頃(昭和30年代後半~)、稲刈りの済んだ水田で全校児童が「蝗とり」をして、業者に渡した収益金で学校図書を購入したという話がある。

 我が家は、家庭の食用であった。母が「和手ぬぐい」で縫った袋に、捕らえた蝗を入れる。そして、お釜で沸かした熱湯の中に、袋ごと入れる。「キューorクー」という鳴き声が聞こえる。子ども心に、可愛そうだと感じていたが、大切な稲の成長を阻害した蝗なので、「地獄の閻魔さまの煮え湯の刑」を受けているのだと、少し納得していた。

 ただ、昆虫は鳴かないので、熱さの中で必死にもがいたあげく、体の擦れる音だったのだろう。その後、洗浄して、母や祖母が、砂糖と醤油で、言わば「佃煮」に仕上げる。それを私たちは、食べたのだが、比較の世界では、おいしく決してまずいと感じることはなかった。 
 私が大学生の頃、母が何度か「蝗の佃煮」を送ってくれた。行きつけの居酒屋「山ちゃん」のマスターの所へ持って行って食べてもらったことがあった。
 『信州では、バッタを食べるんですか?』と言われたが、食べてみて、まずくは無いことは、確認したらしい。
 山国信州では、蜂の子(ウジ)・ザザムシ(水棲昆虫)・蚕のサナギなど、まるで魚の餌のようなものを、「タンパク質源」として古くから食べてきた歴史がある。私も、「蚕の蛹(サナギ)」には抵抗があって食べたことはないが、「蝗」は平気である。
 それにしても、九州・大分県出身の「山ちゃん」こと、Iさんが、蝗(イナゴ)のことをバッタと言うのは当然で、確かに姿形は、「バッタ」である。
 調べて見ると、蝗は、【直翅目・バッタ亜目・バッタ科(Acridiae)・イナゴ亜科(Oxyinae)】に属する種で、サバクトビバッタの類縁であるらしい。日本の風土と豊かな植生のお陰で、突如として大発生して「群生相」となり、あたりの農作物も含めて緑を食べつくして移動する話題は、極めて少ない。

                   *  *  *

 ところで、「昆虫食(Entomophagy/Insect eating)」の話題が、良く上がるようになった。昆虫は動物性タンパク質が豊富で、牛肉や豚肉に代わる環境負荷が少ない食べ物としても期待されている。既に、食糧難もあり、様々な昆虫を貴重な食料としている国もある。また、国連・食糧農業機関(FAO)は、食糧危機の解決策だけでなく、気候変動を遅らせることができる代替タンパク源として、昆虫食を奨励する報告書を発表している。
 一方、自然界ではトビバッタ等による「蝗害(こうがい)」被害も凄まじい。 
 2019年12月上旬、東アフリカを襲ったサイクロンにより洪水が発生したことが、繁殖増加に繋がった。トビバッタの大群は、南スーダンケニアエチオピアソマリア地域にも拡大し、2020年5~6月に、小規模農家の収穫予定だった穀物や農作物にも被害が出た。
 トビバッタは3~5カ月の寿命の内に、1日で自分の体重分の作物を食べ尽くすので、人々の暮らしに大きな打撃を与える。
 これに対抗して、殺虫剤を散布すれば、その経済的負担ばかりか、残留農薬の影響を後世まで引きずることになる。
 大発生したバッタを全て捕まえて、食糧にすれば、「一石二鳥」だなどと考えている私には、想像もつかないメカニズムのようだ。
 日本の場合、稲作に農薬を使って稲の害虫(ウンカなど)を殺虫したり、病気を退治したりする過程で、かつての自然環境は大きく変化した。
 かつて、田圃の畔や土手で見られた「小さな土のパイプのような巣」は、もう無い。成虫自体が、いなくなったのだから、当然だろう。少し寂しい気がする。

サバクトビバッタ (南スーダン)

 

 

 【俳句-③】は、南瓜(かぼちゃ)は育てているようで、実際は、勝手に育って蔓(つる)を伸ばしてしまうので、他に育てている作物の場所に侵入してしまう。
それで、『あなたの伸びる方向は、こちらだよ』と、蔓の先端の向き変えたことを詠んでみた。その時間帯は、農作業を終えて帰宅する頃なので、南瓜には夕陽が当たっていた。季語は、「南瓜」で、秋である。

 「みゆき会」定例俳句会で披露したところ、先輩諸氏が推してくれた句である。
特に、Sさんは、『北に矯め』の部分を、「今年の夏は稀に見る猛暑なので、少しでも涼しい北側に避難させた」と理解したようで、方向が話題になった。
 しかし、真実は隣のトウモロコシから遠ざけようとしただけで、私としては、
『入日の西、カボチャの南、蔓を向ける北』と、敢えて東西南北の方向を意識して俳句を詠んだと、裏話をしました。
 我が家では、日本南瓜と西洋南瓜を種から育てて、畑で栽培しています。植える頃は、枯れてしまうことを心配して、多めに定植しますが、収穫時期には多すぎたことを後悔します。
 今年の場合、収穫時期が遅れたことと、あまりの少雨で割れてしまったことで、約半分は畑に放置しました。残りが、写真の南瓜です。(【下の写真】参照)
 それでも全部は食べられないので、人にあげたり、母の入所している老人ホームで食べてもらえるように持って行ったりしました。
 かつて、私は「南瓜嫌い」で、柿と共に完全に食べませんでしたが、自分で育てたという縁で食べてみると、「かなりな美味」であることを知りました。欧米で、「パンプキン・パイ」や「パンプキン・スープ」が人気であることを、こんな高齢になって、ようやく理解できました。
 「くわず嫌いは、やめましょう!」

 

収穫した南瓜を軒下に並べた



【編集後記】 

 今回もまた、俳句会から一カ月以上も遅くなって「はてなブログ」に載せることになりました。

小型機械で稲刈りした後、「はぜ掛け」をする農家

 9月から10月にかけては、夏野菜の片づけから、冬前に収穫したり、冬越しする野菜へと交代していく作業に追われました。
 その間、今シーズンは最期の畑や周囲の草刈りをしました。
 夏野菜は、植えた時期は、ほぼ一緒でしたが、片づけるのには差が出てきて、ひとつの種類ずつ畑から消えていきます。トウモロコシやカボチャが最初で、キュウリ、オクラ、ナス、ピーマン類と続き、昨日、トマトの棚を片づけました。そして、今日は、これからミニトマトを片づけます。

 良く、小学校や中学校の卒業生が、「これが最期の行事」と言って感慨に浸る心境に似ています。但し、また来年も同じようなサイクルで農作業は続いていきます。   今シーズンで、10年目の夏野菜の収穫時期を終えた(おとんとろ)