北海道での青春

紀行文を載せる予定

令和4年9月の俳句

     【長月の句】

 

① 天高し すじ雲抜ける 銀ジェット
②  妻と待つ 月白(つきしろ)の山 静まれり 
③ フラ(HULA)踊る 揺れしなやかに 秋桜 

             《仲秋の風景三題》

 

 「黒ニンニク」を自家製している。越冬させる球根の定植を9月1日にした。農作業後に雨が降り出してきて、無事大仕事ができて良かったと思う長月の滑り出しではあったが、グローバルな世界では、様々な苦難に満ちていた。
 ひとつ目は、毎年のこととは言え、台風である。台風11号は、朝鮮半島が、台風14号は、九州地方、特に宮崎県に多大な被害をもたらした。そして、台風15号は、静岡県など東海地方で観測史上最大な24時間降水量を記録した。
 ふたつ目は、ロシア軍によるウクライナ領土への侵攻後、ウクライナ軍の反攻が始まった。焦ったロシアは、部分的動員制度を強いてきている。これに反対するデモがロシア国内で起き、若者の国外脱出も始まった。
 みっつ目は、英国エリザベス女王のご逝去(9月8日)である。(国葬は、9月14日)また、安倍晋三元総理の国葬(9月27日)も、多くの人々の献花があった一方で、追悼行事に反対を唱える人もいて、国内は清々しなかった。
 そんな中ではあったが、今月は、仲秋の風景を題材にしてみようと思った。


 【俳句-①】は、佐久平の上空をジェット旅客機が、すじ雲(巻雲)を擦り抜けて飛んでいく。天高く澄んだ秋晴れの空の様を詠んだものです。
 どこの航空会社のジェット旅客機なのかわからないが、佐久市上空を午後3時過ぎに、西北西から東南東へ、そして午後4時を少し過ぎて、逆ルートで、ジェット旅客機の定期便が飛行している。その日の天候で、高層雲や乱層雲に覆われてしまうと、ジェットエンジンの音だけは聞こえるが、航空機は雲に隠れてしまい見えない。
 この俳句の光景は、高い空にできる巻雲(すじ雲)の快晴の空を飛行する飛行機の姿が、はっきりと見えている。4時過ぎのジェット旅客機は、西日を受けて、ジュラルミンの機体が銀色に輝いて、鮮やかである。
(特に、同じ4時頃でも冬季は、辺りが薄暗くなっているのに、上空はまだ西日が当たってるので、さらに「銀ジェット」は眩い。)

赤い薔薇の花と飛行機雲 (ハイジ村にて)

 

 ところで、光と音の伝わる速度差から、音が聞こえてくる方向と実際に見える機影とがずれる現象も面白い。音の方向に機影が見つからなくて一生懸命に空を捜す。思わぬ所で飛行機を見つけて驚くが、慣れてくると、音の方向より視線を先に移して、すぐに見つけることができるようになるものだ。
 今(秋)は、農作業中や時々の機会に遭遇するだけだが、冬季は、この時間帯が、ちょうど日課の散歩の時間になるので、ジェットエンジンの爆音が聞こえると、空を見上げて、銀色の機影を発見するのが楽しみとなる。百舌鳥(モズ)の高鳴きも聞こえてきたので、そんな時期も、もうだいぶ迫ってきている。

 

部分月食と街の灯 (令和2年12月)

【俳句-②】は、令和4年9月10日、仲秋の名月が東の山の端から上がってくるのを、妻と二人で待っていた時の厳かな気持ちを詠んだものです。
 9月10日の月齢は、13.8日でした。
9月11日の月齢は14.8で、満月(十五夜)に近い気がしますが、月齢は、その日の正午(12:00)時点で計算しているので、夜には寧ろ満月を過ぎてしまいます。
 ちょうど、18:59(ほぼ午後7時)に満月となって、月面の100%が太陽光を反射して輝いているとの情報でした。
 当日、俳句の描写のように、午後6時少し前に、外に出て月の出を待ちました。しかし、上空は晴れているものの、山の端には群雲が懸かっていました。

 それで、現実の行動は、先に夕飯を済ませ、その後で再び空を眺めました。東南東の空に、仲秋の名月(満月)が、煌々と輝いていました。
 ところで、「月白(つきしろ)」の山が秋の季語で、これをぜひ使ってみようと思いました。月白とは、月の出前の空が少し明るくなる光景のことですが、そわそわとして、一瞬の月の出を待つ期待感・緊張感と共に、少し冷静になれば、大自然の厳かな雰囲気が伝わる表現だと感得しました。
   現代では太陰暦による日付利用はなくなりましたが、その時々の出来事と心境で、
いつまでも記憶に残っている月の形や色・輝きがあります。この名月も、重陽節句の翌日のことで、思い出に残りそうです。

皆既月食(平成23年12/10)

コスモス(秋桜)と秋の雲

 

 

 【俳句-③】は、コスモスの花を見ていると、なぜか微風にも揺れているが、細身の葉や茎は高層ビルの耐震構造のように、強風に対しても、したたかでもある。また、群れて咲いていることが多く、少し見方を変えてみれば、多くの女性が「フラダンス」をしているようにも感じられて、詠んでみた。

 ちなみに、私たちは、フラダンスと言うが、ハワイの言葉で「HULA」は、「踊り」という意味だそうで、「フラ」だけで「ダンス」はいらない。また、日本の神社で春や秋に行なわれる「神楽の舞い」と同様に、「フラ」は、神に捧げる舞いという側面もあるようだ。
 俳句会に提出する前に、この俳句を妻に紹介したら、『フラダンスを踊っている女性を眺めている、少しいやらしい男性目線のようだわ』と来た。それで、「フラ」は「神楽舞」の一種の神聖なものだと説明しておいた。

秩序ある小宇宙・コスモス(秋桜

 ところで、寧ろ私は、「コスモス(COSMOS)」という花の名称が気に入っている。コスモスとは、カオス(混沌)に対する秩序ある宇宙(Universe)のことだ。
コスモスの8枚の花弁と中央の「雄しべ・雌しべ」の配列を見ていると、実に良いバランスだと感じ、まさに小宇宙を連想する。だから、多くは人為的に植えた結果だが、コスモスが群生している様を見ると、ひとつひとつの花が、銀河で、それらが集まった大宇宙を構成しているようにさえ思えてくる。


『コスモスの 揺れしなやかに フラ踊る』
  みゆき会の俳句会に最初に提出したのは、上のようであったが、先輩諸氏が、『上の句と下の句を逆にした方が良い』と、アドバイスしてくれた。それで、倒置した格好になったのだが、下の句に「コスモス」では4文字となってしまう。
 そこで、さらにコスモスを和名「秋桜(あきざくら)」としてみた。これで、どうやら、格好が付き、秩序ができた。

HULA 踊る(インターネットから)

【編集後記】 令和4年10月15日(はてなブログ

 編集後記とするように、俳句を創作して「みゆき会」の句会に発表する時点で、ここに語るような気持ちやエピソードの構想は既にあるのだが、実際に文章にまとめようとすると、時間がかかり、しかも日常生活の雑事や予定もあって、ついつい1ヶ月くらい遅れてしまう。宣言した地学関係の話題にも手をつけてなくて、心苦しい。
 何はさておき、進行する時間軸に追いついた感があり、ひと安心である。
 実は、この「ようやく追いついた」という感覚は、私の特性のひとつなのかもしれないと思う。現在の生活でも、懸案の課題を気に懸けつつ、先延ばしをしていて、ある時、まとめて一気にやり遂げて、安堵する瞬間が数多くある。
 思えば、『高校生時代の数学の授業時間』の思い出にも重なる。
 今月末の10月29日(土)には、高校卒業50周年記念行事があり、クラス代表幹事として出席するつもりなので、高校生の頃のことを思い出したのだろう。
 私は、高校3年で理系を選択し、大学でも同様に理類だったが、日本史とか古典とか、進学後は、心理学・考古学などのジャンルにも興味があった。社会人になってから、高校数学Ⅰ~ⅡB~Ⅲの数学の教科書を読み返したこともあるが、今は全く開くことはないものの、数学への興味は今も大いにある。

            *    *    *

 高校生の頃は数学が大好きで、大学受験には数学が得点源となり、私の取り柄だったのかもしれない。ところが、高校時代は、授業についていけずに、悲惨で悩ましい日々を送っていた。
 高校1年の秋頃までは、予習・復習もして、しかも、「Z会」の数学通信講座にも入って、時折、名前が載ることもあるぐらい順調であったが、運動部の「班活」に入ってから、自宅学習をあまりしなくなってしまい、特に、数ⅡBになると、進度が速くてついていけなくなった。
 それで、K先生が丁寧に説明してくれている授業中も、自分が理解し納得するまで自習していたので、いつも1~2週間前の単元に取り組んでいた。しかし、中間テストや期末テストでは、範囲が示されるので、それまでには何んとかして追いついて、テスト数日前には、「ようやく追いついた」という体験を何度かした。懐かしい思い出だが、いつもはらはらしていた。

彩色の花器

 ところで、10月に入ると、急に夏野菜の収穫量が減り、農作業も一段落という状態となってきた。
 そんな折り、かつて同じ職場にいて、退職後はさらに本格的に陶芸をされているI氏から、作品展示会の案内をいただいた。
 それで、かつて通った峠道や懐かしい面影が残る街並みにも感激しながら、妻と二人で会場まで遠出してきた。それ以上に、I氏の益々腕前を上げ、情熱的に作品を追究する姿勢に学ばせていただきました。
 そして、気に入った作品があったので、購入させてもらいました。
独特な色合いで、雪洞(ぼんぼり)のような形なので、花は生けないでそのまま飾ることにしました。(おとんとろ)