北海道での青春

紀行文を載せる予定

2020-01-01から1年間の記事一覧

微化石から人類へ(最終回・ヒトの特徴)

(5)進化の道を、3万年前まで共に歩み続けてきたネアンデルタール人との別れ 今から30万年前に誕生し、氷河期のヨーロッパやシベリアなどに進出した人類として、ネアンデルタール人【Homo neanderthalensis】の化石や遺跡が発見されています。 フランス・…

微化石から人類へ(ヒトへの進化)

12.人類の進化:ホモ・サピエンス・サピエンスへの道のり ヒトとチンパンジーは、遺伝子レベルで見ると近縁で、700~800万年前(?)頃、共通の祖先から分かれたのではないかと考えられています。 (1)東アフリカから発見された人類化石 5000万年…

微化石から人類へ(高い視力の獲得)

11.人類は高い視力を獲得した 【図1】は、新生代の貝殻化石中に含まれる酸素の同位体「酸素16と酸素18の存在比、18O/16O」を調べ、相対的に示したグラフです。貝が生きていた当時の海水温の様子が、わかります。 元々、温暖だった白亜紀から、…

微化石から人類へ(恐竜絶滅後の世界)

10.巨大隕石落下で恐竜が絶滅した後の世界 生物大量絶滅は何度かあり、2.1億年前の三畳紀とジュラ紀の境(Tr-J境界)も、そのひとつです。超大陸パンゲアの分裂が始まり、激しい火山活動が原因とされる。また、少なくとも大規模な5個の連鎖クレータ…

微化石から人類へ(爬虫類から鳥へ)

9.鳥類は、爬虫類(ハチュウ類)から進化して、空を飛べるようになった ドイツ・バイエルン地方の南端・ゾルンホーヘン(Solnhofen)の石灰岩(1.5億年前、ジュラ紀後期)の中から、【始祖鳥・Archaeopteryx】の化石が見つかりました。歯があり、翼の先に3…

微化石から人類へ(恐竜の時代へ)

8.地球最大の生物大量絶滅で、恐竜の時代を迎えるようになった 今から2億5000万年前を境に、全地球生物種の約95%が絶滅してしまいました。ペルム紀末、古生代と中生代の境です。生物大量絶滅の原因は、大規模火山噴火によって引き起こされた急激な…

微化石から人類へ(海から陸への進化)

7.海から上陸して、緑の河畔を歩く生物が現れた ノザーンテリトリー州(Northern Territory)のアリススプリング(Alice Springs・豪州大陸のほぼ中央部)近郊の、オルドビス紀の後期(4.6億年前)の地層から魚の祖先の化石が発見された。【アランダスピス・A…

微化石から人類へ(脊椎動物への道)

6.カンブリア紀の爆発的進化と脊椎動物への道 南オーストラリア州のトレンズ湖(L.Torrens・州都アデレードの北方の塩湖)付近の、今から6億年前の地層から、地球史上初の多細胞生物の化石が見つかりました。発見された地名からエディアカラ動物群(Ediacara…

微化石から人類へ(原核から真核生物へ)

5.全球凍結の後、原核生物から真核生物への進化があった 第四紀の氷河期は知られていますが、それとは桁外れの規模で地球全体が凍結して、雪だるま(snowball earth)になってしまった時代がありました。地表数千mが氷床で覆われ、海深1000mまでも凍結…

微化石から人類へ(生命の誕生)

現存するストロマトライト 2.原始の海洋と大気は、少しずつ変化した 原始地球には、微惑星や氷塊・隕石が衝突し、これらの中に含まれていた 二酸化炭素(CO2)・窒素(N2)・ 水(H2O)が、高温の為に溶けて気体になっていた。やがて、高圧・高温の大気は、冷え…

微化石から人類へ(地球の誕生)

『私は、どこから来て、どこへ行くのだろう?』・・・・・生きていることについて、ある時、ふと人が、思いつくひとつの事である。生き甲斐探しの場となるかもしれない。 両親がいて、その親の両親がいて、さらにご先祖様がいたから、偶然にも、はたまた必然…

A小学校の東西南北

知らない土地で道を尋ねた時、丁寧に教えてくれる人に出会ったら、その方に感謝しつつも、失敗したなあと思いながら、説明は丁重に聞き流してしまうのが、私だ。何しろ言われたことを覚え切れないからだ。 寧ろ、例えば『南西に約500mです』と言われると…

母と歩く

私が勤務していたことのある中学校の秋の夕暮れのこと、担当する同じ学年の女子生徒が、忘れ物を取りにきた。剣道大会で使う「和手ぬぐい」である。家で洗って試合に臨もうと思い、道場から教室に持ち帰ったところ、忘れてしまったらしい。職員室まで帰宅を…

読書旬間中の職員室

本校の読書環境は、実にすばらしい。N先生文庫基金の恩恵にあずかっていることは言うまでもないが、特に本年度は、プレハブ建ての図書室が、元・視聴覚教室に移って、装いも新たになった。更に、師走の読書旬間の企画は充実していた。係の先生方のお陰で、…

学びの道を踏み行きて(後半)

ところで、中学校では、学級の皆で共通体験した行事などを通して、学級や、その構成員の雰囲気が変わっていくことがあります。 1学年が5学級ある中学校のことでした。学級編成は、各小学校からの資料や情報を基に、それぞれの学級が、なるべく均質になるよ…

学びの道を踏み行きて(前半)

♪大きな夜明けが、ありました。十万年の静けさと・・・阿蘇の夜明けが・・、阿蘇の夜明けが、ありました。♪ ある中学校の音楽会で、生徒と一緒に私も歌った思い出深い学年合唱曲の歌い出しです。(児童合唱のための組曲「火のくにのうた」より、峰 陽 ・作詞…

田舎の青い鳥

祖父が幕末の鉱山奉行であったということで、故・M教授は、先祖代々の地質学者である。私たちが教授と接したのは、定年退職を数年後に控えた頃のことで、風貌は、好々爺と映った。しかし、偉大な業績を知ると、あまりの謙虚さが、寧ろ、畏敬の念に変わるよ…

恩返し感覚

毎年、松本税務署の出前講座・租税教室を依頼し、6年生は、税金の果たす役割について学習している。税金の徴収・配分される仕組みの概説後、消費税が話題になり、世界各国の比較で、日本の5%が低いことに驚く。それは、税制度が国によって違い、日本では…

筑北連合小学校

佐久平(さくだいら)の一角、泉小学校の校庭に超大型クレーンが立ち並び、建て替え工事をしている。近くを通った時、『ああ、これで小学校も無くなるのか』と娘が言った。と言うのも、母校野沢中学校も数年前、同様な工事で、思い出の校舎が消えたばかりだか…

食物からの時代考

毎年、大晦日に出刃包丁を研ぎ、新巻鮭を料理する。自己流とは言え、切り身のこしらえ方も、要を得てきた。サケ科の魚特有の脂鰭(あぶらびれ)を『奇形魚だ』と大騒ぎしたのは、懐かしい思い出となった。 我が家では、芯に鮭の切り身を入れ、干瓢で巻いた昆…

巳年から午年へ

卒業生は、辛巳年(かのと・み)年~壬午(みずのえ・うま)年生まれなので、癸巳(みずのと・み)年生まれの私とは、ちょうど四回り違います。そんな縁で、年齢にまつわる話です。 「お年とり」という懐かしい響きのある言葉が、死語になりつつあります。 年神様…

六年生の夏に、日食を見た。

平成21年7月22日午前11時10分頃、皆既日食の部分最大食を、H小学校で見た。日本列島での皆既日食は、明治20年8月19日以来、122年ぶりのことで、西条・東条・乱橋・大沢新田の四村合併後、明治22年に本城尋常小学校が設立された本校の1…

西暦2035年 9月2日、A小へ集合

6年生の5月21日(月)に、A小学校の校庭で、金環日食を観察した。残念ながら、私は、佐久病院の定期検診で、年休(一日)だったので、自宅で、たまたま帰省していた妹や家族と一緒に見た。 待ち遠しいのは、2035年9月2日の日曜日である。 今から22…

SPごっこ

愉快な娘さんを知っている。 その家族は、外に出かけた時、様々な試みをし、周囲がどう反応するかを楽しんでいるらしい。 ひとつは、混んでいるファミレスで待つ順番を「オニガワラ」と記帳し、店員さんが名前を呼んだ時、大袈裟に反応する。珍しい名前なの…

柴犬物語(後半)

姉妹犬の末路 家内の友人から子犬(8ヶ月)でもらってきた柴犬のテリーであるが、5年後の秋に、4匹の子犬を生んだ。生まれた順にアース(♂)・シーザー(♂)・エル(♀)・ラブ(♀)と名付けた。 子どもたちは、小学生ながらに、動物の妊娠~出産の秘密を理解してい…

柴犬物語(前半)

平成10年10月10日の朝、我が家で4匹の子犬が生まれた。休日勤務で私が出かけた後は、二女が見守り、アース(♂)・シーザー(♂)・エル(♀)・ラブ(♀)の順に生まれたと言う。 兄弟姉妹犬は風貌や性格が違う。遺伝の不思議さに驚きながら、庭でじゃれ合う子犬…

分数と私

5月に、相田一人(あいだかずひと)さんの「父・相田みつを」を語るという講演を聞いた。東日本大震災後、みつをの作品をブログ(Weblog)で使いたいがという問い合わせが殺到し、【わけ合えば】という作品を自由に引用して使える処置をしたそうである。 詩は、…

自然を科学する

M教授は、祖父が幕末の鉱山奉行であったとかと言うことで、代々の地質学者である。私たちが大学で出会ったのは、先生が退官を数年後に控えた頃で、深く刻まれたしわ顔や、小柄で、少し猫背の外観からは、人生を誠実に生きてきた普通の老人という風体に映っ…

冷や酒のように

ひとり墓地で、父の最期に着ていた浴衣を燃やしていた時のことです。 秋の日は暮れ始め、一緒に燃やした「おき」が、赤々と辺りを照らし出していました。一瞬、炎が上がった方を見ると、1匹の蛾(が)の羽に火が燃え移っていました。蛾は羽ばたいて、いったん…

何ものかを畏れる心

この2月に善光寺・淵の坊住職、若麻績侑孝先生から、「二度とない人生だから」という演題で、宗教哲学の話をお聞かせ願い、私は感動しながら理科室に戻ってきた。 ところが、『シミッチャンは、まだ子どもなんかやあ』と、いつもの調子でK先生が、やり出す…